「自分の給料は自分で稼ぐという考え方がしっくりきた」全国のロースターやコーヒー店をつなげる橋渡し役

Yui Fujii

2019年4月、「コーヒーを淹れるのってかっこいいなというミーハーな気持ち」でカフェに興味を持ち、コーヒー豆を販売するHOOPのスタッフになる。2019年11月、世界のコーヒー生産者とロースターとのダイレクトトレードを手がけるTYPICA創業後は、新規顧客の開拓を担当。3年目の今は「自分を活かせる場所を探しているところ」だという藤井優衣の物語りとは。 ※文中敬称略

留学先で見つけた「理想」

もともとコーヒーに興味がなかった藤井がカフェに惹かれたのは、大学2回生の冬。大学のカリキュラムの一環として、4ヶ月間留学したニュージーランドでの体験がきっかけだ。

「現地のカフェに行ったとき、お店のスタッフとお客さんの垣根がない感じに惹かれたんです。日本のようにかしこまった雰囲気はなく、皆フレンドリーでフランク。そういう関係性を築ける仕事としてカフェで働きたいという思いが芽生えました」

「自然豊かでゆったりしている」というイメージで選んだニュージーランド。ホームステイをしていた留学期間中は、ほのぼのした空気感になごむことも多かったという。

「週に2〜3日、家族や親戚が料理を持ち寄って、ホームパーティーを開いたり、一緒にラグビーを観戦したり。家族で過ごす時間が多いのが印象的でした。

日常でも、バスを降りるときに運転手さんに『ありがとう』と伝えるなど、見知らぬ人どうしでもごく自然に感謝の言葉を伝え合っているところにもあたたかさを感じました」

ほぼ成り行きまかせで進学先を選び、明確なビジョンも定まっていない。そんな藤井にとって、ニュージーランドははじめて「歩いていく道が見えた」場所だった。

「現地で出会った人たちのおかげで、やりたいと思える仕事ができただけでなく、こんな生き方をしたい、こんな人になりたいという理想が生まれたんです」

時間が経てばわかる「成長」

帰国後、働くカフェを探していたときに出会ったのが「HOOP」である。単にコーヒー豆を販売するだけでなく、コーヒーでライフスタイルの革新を目指すコンセプト(https://hoop.coffee/concept/ )に惹かれたのだ。だが、アルバイトとして働き始めた藤井は、いきなり戸惑うことになる。

「経営者の後藤さんから早々に『給料いくら欲しい?』と訊かれたんです。フランクな言い方でしたし、『自分の給料は自分で稼ぐもんやから。自分で売り上げ出せるんやったら(高い金額でも)いいから』という言い方でしたけど、答えられなかったですね(笑)。でも毎日の売上や家賃、人件費といった数字をすべてオープンにしてくれていたおかげで、仕事を自分ごととして捉える意識は芽生えたように思います」

アルバイトの身でありながら、求められるレベルは社員と同等だった。HOOPの店舗は地下にあるうえに看板が小さかったため、存在に気づいてもらいにくい。待っていてもお客さんが来ないんだったらどうするのか、考えることを求められた。

「店の認知度を高めるための試飲会を開催したり、販売する豆を置く棚を作ったり、看板を大きくしたり……。後藤さんにサポートしてもらいながら、収益を上げるためにいろいろと工夫しました。当初は、試飲会をやることに気持ちが乗らなかったけれど、いざやってみるとお客さんと話ができて、そこから常連さんになってもらう喜びはありましたね。仕事のふり方が丸投げというかお題だけ与えられる感じなので、困ることも多かったけれど、時間が経てば成長できていることがわかりますし、いい経験になったように思います」

「しんどい」からこそ強くなれた

そんな藤井が「仲良くなったお客さんもできて、バリスタとして楽しい時間を過ごしていた」HOOPを辞めて、立ち上げ間もないTYPICAの社員になる道を選んだのはなぜだったのか。

「コーヒーに対する情熱が深く、子育てをしながら妥協せずに仕事もやっている彩音(山田)さんの生き方に憧れがあったし、この人についていった方がコーヒーについての学びが深まると思ったからです。TYPICAで何をするのかはよくわかっていなかったけれど、未知な世界に惹かれたというか、新しいことに挑戦できる気がしたんです」

まず藤井が担当したのが新規顧客の開拓だ。コーヒー豆の納入先となる全国のロースターや珈琲店1軒1軒に電話をかけ、興味を持ってくれたところには直接訪問し、取引先を増やしていった。「(取り組みは)おもしろいけど、本当にできるの?」「できたらおもしろいけど、難しいよ」という反応が大半だった。

「本社があるアムステルダムからサポートはしてもらいましたが、創業時から丸1年はひとりで新規開拓を担っていたので、思った以上に大変でした。コーヒー業界についてよく知らない自分が、業界で名の知れている人たちにいきなり電話をかけて話をする。そのことがとても怖かったんです」

広大な砂漠にひとり放り出されたような状況は、特別なスキルを持たない新卒1年目の身には苛酷だった。会社から求められる成果を挙げられず、かといってどうすればその状況を打破できるかもわからない。背負う“荷物”の重さに押しつぶされそうになりながらも、藤井は必死に前に進む方法を探していた。

「何も得られていない段階で辞めても、自分にとってプラスにはならない。自分にできることを見つけ出そう、という思いで踏みとどまっていました」

今のままなら優衣ちゃんとやっていくのはしんどいと思う――。やがて、TYPICAの創業者である山田からそんな声が出ていると伝え聞いた藤井は、「怖い」という自分の心境を正直に語ることにした。

だが、前に進めるようなあたたかい言葉をかけてほしいという淡い期待を打ち砕くかのように、山田からはシビアな答えが返ってきた。

「いやでも、これ仕事なんだよね。サークル活動でもないし、お金をもらってやってることだから。一般企業でも、『すぐにアクションを起こして』と言われてるのにやらないみたいなことってありえないよね」

藤井は振り返る。「そうやって突き放されたとき、はたと気づいたんです。ここはそういう甘えが許される場所じゃない、弱音を吐いて共感してもらおうとする自分が甘かったんだと。もともとしんどいときはまわりに頼るというか、相談に乗ってもらうことが多かった自分にとって、その言葉は自分の弱さと向き合うきっかけになりました。その後、後藤さんから『上司を見て仕事をしてるの? 上司の評価が仕事を続けるかどうかのものさしなの?』と問われたことも発奮材料になったような気がします」

自分を活かせる場所を求めて

藤井は中高6年間、ソフトボール漬けの生活を送っていた。土日も練習か試合があり、1年のうち休めるのは夏休みの3日と正月3が日程度。中学、高校時代ともに全国大会やインターハイにも出場した。

自分も生きるセーフティバントを得意としていた藤井は、部員 30名ほどいる高校のソフト部ではベンチ入りも果たし、重要な場面で代打として出場する“切り札”的存在だった。

「ヒットやホームランを打てるわけでもないし、守備もうまくない。特に守備に対する苦手意識は強かったので、試合中は出番が来ないように、監督の目に映らないところに隠れていました。(笑)そんな自分に何ができるか、どうすればチームに貢献できるかを模索した末に出した答えがバントだったんです。だからバントの練習ばかりしていましたし、バントの技術を高めようという意識は常に持っていましたね」

「全国大会出場」はチームの目標であると同時に、藤井自身の目標でもあった。

「もちろん自分が試合で活躍するに越したことはないけれど、うまくなるためにみんなで練習して結果を残せる人が試合に出るもの。そう思っていたから、誰かに負けて悔しいという感情はなかったですね。ホームランを打てる人はすごいな、打ってくれてうれしいと素直に思っていましたから」

部活では苦楽を分かち合えるメンバーがいたことが、支えになっていたという。

「お互いに高め合うために、アドバイスをし合ったり、練習相手を買って出たりする関係が私に合っていたんだと思います。ただ、中高時代の“大変さ”はあまり覚えていないというのが正直なところ。友達からは『適当』と言われたりしますが、あまり深く考えないタイプだからか、過ぎたことは忘れているんです(笑)」

自分自身の軸を定める

藤井は現在、コミュニティマネージャーとして、日本全国のロースターやカフェのコミュニティづくりをサポートしながら、彼らの意見やニーズを吸い上げ、世界のコーヒー豆生産者との橋渡し役を担っている。

「まわりに助けてもらっている、学ばせてもらっている場面がまだ多いので、ギブできるようになることが目標です。与えられている仕事をまっとうすることでその目標に近づけると思うので、目の前のことにしっかり向き合っていきたいなと。会社から給料をもらっている感覚はまだ払拭できていないので、自分で稼いでいる実感を持てるようになりたいと思っています」

私のサポートとして優衣ちゃんに入ってもらっているわけじゃない。自分のやりたいことを見つけて、積極的に動いていってほしい――。以前、山田からもらった言葉は、今も藤井のなかに息づいている。

「いろんな人の意見にとらわれて、自分自身が定まらないところが私の課題です。チームとして、TYPICAとして、自分として大事にしたい、大事にしなければならない軸をしっかり持ったうえで人と向き合っていきたいなと思っています」

どこまでも控えめな藤井について、後藤は言う。
「他者への誠実さや仕事に向き合おう、改善しようとする真摯な姿勢といった人間性が彼女のすばらしいところ。新卒でアルバイトから関わるようになって、数々の困難にぶち当たり、失敗を繰り返しながらも一つずつ着実に乗り越えてきた彼女には頭が下がります。今となっては、『彼女がいなければ今のTYPICAは100%ない』と言い切れるくらいかけがえのない存在です」

ソフトボール部時代のバントのように、TYPICAでも「自分を活かせる場所」を見つけ出そうとする。ひたむきに仕事に向き合う姿勢も「替えのきかない存在」になるための切符だということを、藤井はこれからも証明し続けるだろう。(つづく)

写真:Kenichi Aikawa