革新への渇望を受け継いで。「農場から食卓へ」をコーヒーで目指す

20世紀前半、労働契約移民としてサンパウロ州のコーヒー農場などで働く目的でブラジルへと移住した日本人が、土地を購入して独立し、コーヒー農園主となるパターンはひとつの潮流となっていた。
日系二世のミツオ・ナカオと妻のフミエもその一例である。当初はサンパウロでさまざまな作物を育てていた二人は、やがてコーヒーに特化すると決め、1984年、コーヒー栽培に適したミナスジェライス州のセラード・ミネイロに移住した。

その孫となるのが、現在、同農園を管理するヴィクターだ。彼は12歳までサンパウロで育った後、父との死別を機に、母とともに農園を営む祖父母のもとへ移り住んだ。「祖父母がコーヒーの木を愛情を込めて世話する姿をずっと見ていた。80歳を超えても、毎日農園に通っていた」とヴィクターは振り返る。
それでも、祖父母や母から農園を継ぐように求められたことはない。「自分のやりたいことをやればいい」という方針のもとで育ったヴィクターは、工学を学んだ大学を卒業後、しばらく農園で働いたのち、セメント業界の大企業とテック系スタートアップで計3年ほど働いた。会社を辞めて地元に戻り、コーヒーの仕事に専念すると決めたのは、きょうだいと農地を分けた母から「手伝ってほしい」と頼まれたからだった。

「コーヒーが本当に好きだからです。大学卒業後、焙煎や抽出について学び、1年弱カフェを経営する中で、コーヒーにどんどん魅了されていきました。エンドユーザーと接する機会を通して彼らの好みやニーズを知ったおかげで、市場で受け入れられやすい発酵プロセスを設計できています」
まったくコーヒーとは関係ないテック系のスタートアップでプロダクトオーナーを務めた経験も、今に生きている。「同時並行的に複数のタスクを進めていく中で優先順位をつけること、そして消費者が価格をどう捉えるか、その価格感覚をどう活かすかを学んだ。扱うモノは違うけれど、プロセスを設計し、人と関わりながら目標を達成するという点は同じ」だとヴィクターは言う。

スペシャルティコーヒーの生産に注力すると決めたヴィクターは2019年頃から、量ではなく質にフォーカスする方針転換を進めるべく、さまざまな発酵方法や乾燥工程を試すようになった。
「コーヒーは年に一度しか実らない作物で、収穫が終わる頃にようやく結果がわかる。だからできるだけ多くのバッチを仕込んで、発酵時間を調整したり、乾燥させる場所を変えたりと、少しずつ条件を変えながら進めてきました。とにかく成果が出るまでには時間がかかることを前提に、じっくり腰を据えて取り組まなきゃいけない。祖父母や母の背中を見ていたおかげで、そういう心構えは自分の中にあらかじめ備わっていたように思います」

血の中に流れるチャレンジ精神
広さ130haのカタンヂューヴァ・ツー農園では、年間で平均約7000袋を生産している。2020年には、セラード・ミネイロ地域の農協が主催するコンテストで、5つのロットが最終ラウンドに進出。2021年には、COEで12位に入賞した。
「特に自信があるのがパライソです。今は全体のうち約10%がスペシャルティですが、今後はもっとその割合を増やしていきたいと思っています。来年は30%くらいにできるかもしれません。
祖父と母に共通するのは、革新への渇望や探究心、強い向上心です。祖父は地域内で機械収穫を導入したパイオニアの一人でしたし、母は2000年代半ば頃からできるだけ化学肥料や農薬の使用量を減らす環境再生型農法を取り入れていた。コーヒーノキの間に他の木を混植しているのもそう。昨今は干ばつの影響を免れなくなっていますが、土壌を再生させてきたおかげで被害を小さくとどめられていると思います」

常に新しいことに挑戦する姿勢はヴィクターにも受け継がれている。コーヒーの発酵に関する講座を積極的に受講したり、コンサルタントに助言を仰いだりしながら、新たな道を切り開いてきた。現状では商社と協同組合にコーヒーを販売しているが、将来的には自分たちのコーヒーを提供するロースターやカフェを開業し、「農場から食卓へ」という理想を体現することが目標だ。
「生活者の人たちがおいしいと言ってくれることが、私にとっての喜びです。ビジネスパートナーの中には祖父母の代から付き合いがある人もいて、祖父のことをよく話してくれます。それもまた大きな喜びのひとつです。もちろん、国内だけじゃなく他の国のロースターや生活者とつながりたいとも思っています」