Jesus Galguera Gomez / Jesus Pablo Galgueraヘスス・ガルゲラ・ゴメス / ヘスス・パブロ・ガルゲラ
異質なものでも溶け合える。ロマンを宿したメキシコ・プルマ

「変化に適応した者だけが生き残れる」という言葉をのこしたのは、生物学者ダーウィンである。ビジネスにおいてもまた、時代や環境の変化に適応し続けることは欠かせない。伝統的な長寿企業も、伝統を守りつつ絶えず革新を重ねてきたからこそ、今日まで生き長らえているのだろう。
メキシコ南部・オアハカ地域で、宝石とも称される「プルマ」コーヒーの生産から輸出までを手がけるガルゲラ・ゴメス社もまた、その精神を体現する存在である。1932年の創業以来、約1世紀にわたり、時代の荒波を乗り越えながら、歴史を紡いできた。

1990年代には国際相場の暴落、さらにハリケーンによる甚大な被害で生産量が1/3程度まで落ち込むという危機に直面したことを機に、同社は生豆の輸出販売仲介から業態転換。以来、生産者からコーヒーチェリー(あるいはパーチメント)を購入し、自社で精製を行っている。現在、取引している生産者は約1500組だ。
近年は、より高い付加価値を生み出し、生産者の収益性を高めることで、コーヒーという伝統を次代に受け継ぐための取り組みを進めている。その一例が、アラビカ種とロブスタ種を同時発酵させる実験だ。そんな同社の核にあるものは何か。現在、事業を統括している3代目のヘスス、いずれ4代目として会社を受け継いでいく息子のパブロに話を聞いた。

品質を支えるオーナーシップ
プルマとは、メキシコ南部オアハカ州の山岳地帯で生産される高品質なアラビカコーヒーの総称である。なかでもプルマ・イダルゴ周辺で栽培される在来のティピカ種は、メキシコを代表する銘柄の一つとして広く知られている。風味特性が似ていることを理由に、過去には他地域産コーヒーが「プルマ」として販売される(産地偽装問題が起こる)ほど、そのブランド力は高い。
一方で、クリオージョ、ブルボンなど在来品種が中心を占めることや、山岳地帯特有の自然条件、気候条件、古木が多いことなどが相まって、単位面積あたりの生産性はチアパス州やベラクルス州の60%程度にとどまっている。

ヘスス「1997年のハリケーン『パウリーン』をきっかけに、大規模農園の多くが事実上機能しなくなり、今では大半が小規模生産者です。30年近く経った今、ようやく生態系も生産量も以前の水準に戻りつつあります。
そんな中でも、生産者から国際相場を上回る価格でチェリーを買い取り続けることができているのは、私たちの顧客がオアハカコーヒーの品質の高さと、地域特有の生産事情を理解し、高くともその対価を支払う意義を感じてくれているからです」
ガルゲラ・ゴメス社は2008年、「気候など、自分ではコントロールできない品質低下リスクを一部引き受けることで、生産者が安定的にコーヒー生産を続けられる環境を整える」べく、質の高低にかかわらず固定価格でチェリーを買い取る仕組みを導入。「質より量」を優先するインセンティブが働きかねないが、これまで品質低下という問題に直面したことはない。

「オアハカって、特殊な場所なんです。コーヒー生産者の多くは先住民系のコミュニティに属し、今も伝統的な生活様式を維持しています。彼らが話す言語の大半も、自分たちの民族言語です。彼らにとってコーヒーは稼ぐためのビジネスというより、自分たちの土地や暮らしを守るべく、何世代にもわたって受け継がれてきた『営みの一部』なので、短期的な利益には流されないんです」
ヘスス自身もまた、生産者たちに近しい精神性を有している。重要なのは、経済的な報酬以上に「私たちの仕事が認められ、産地が正しく評価される」ことだ。祖父や父との思い出と分かちがたく結びついた情緒的なつながりもまた、ヘススをコーヒーの世界に引き寄せ続ける磁力となっている。

「父から聞いた話ですが、祖父は事務員として働き始めたアメリカ・カリフォルニアの輸入会社で、上層部からその働きぶりが評価され、アメリカにコーヒーを輸出するメキシコの支社長を任されるまでになりました。祖父が地元に戻ってきたのは1930年代。8日間も馬に乗らなければ州都オアハカにたどり着けないような地域で事業を始めたのです。
以来、プルマ地域の生産者たちのコーヒーを集め、輸入会社と生産者をつなぐ役割を担うようになったのですが、とても厳格で真面目、責任感の強い人で、どちらの取引先にも誠実で、何よりも約束を守る人だったそうです。
父の時代もそうでしたが、当時は言葉で約束を交わすだけで取引が成立した時代です。今では必要な書類は増えたものの、生産者との関係において“口頭での約束”が持つ重みは変わっていません。書類は手続き上必要なものにすぎないという本質は変わっていないんです」

異なる存在でも混ざり合える
この2年間、同社は新たな試みとしてアラビカとロブスタを共同発酵させるプロジェクトに取り組んできた。「品質の責任とリスクを生産者と分かち合う」という考えから始まったが、現在は自社ラボでの本格的な研究へと発展。グアダラハラ大学とも連携し、農業バイオテクノロジー科学博士であるフリア・マルティネス博士の助言を受けながら、DNA解析によって発酵に最適な微生物の特定を試みている。
「アラビカとロブスタはまったく別物」というのが業界の常識だが、ヘススはその前提を疑うところから始めた。もし両者のよい部分を引き出せたらどうなるのか──という問いが、今の研究につながっている。背景には、発酵の方法を変えた際、元のプロファイルにはない魅力的な風味が生まれた成功体験とともに、ヘススのロマンがある。

「『メスティサヘ=混血・文化的融合』という理念は、メキシコのアイデンティティそのものです。特にオアハカは美しいるつぼのような場所で、異なる民族、文化が支配ー被支配の関係に固定されず、うまく共存しながら統合へと向かってきました。私が思うにそれは、アラビカとロブスタの発酵にも通じるところがある。まったく異なる二つの存在が出会って混ざり合う可能性を、私は試してみたいんです」
アラビカvsロブスタ、先住民系vsヨーロッパ系、伝統vs革新……。人は往々にして、二項対立的に物事を捉えがちだ。分断や不和の根っこには、両者は決して相容れないという諦めとも言える前提がある。

「物事を分断するよりも、それぞれの良い部分を足し合わせる方が私たちを豊かにしてくれると考えています。コーヒーも同じで、長年積み重ねられてきた生産者たちの努力や忍耐を尊重しながらも、より良い方法や新しい可能性を追求していく必要がある。ウォッシュドを例にとれば、この地域で伝統的に行われてきた発酵方法を尊重しながら、以前は自然発酵に任せていた微生物を意図的に選択したり、チェリーの扱い方を変えたりすることで、革新を試みています」

情熱なくして存続なし
ファミリービジネスに強い愛着を持つヘススだが、自分の息子に会社を継ぐよう求めたことはない。それでも4代目となるパブロは2025年から事業に参画。大学では金融を学び、卒業後はグアダラハラの銀行で数年間勤務。その間、頭の片隅からファミリービジネスの存在が消えたことはない。

パブロ「私は父ほどロマンチストではありません(笑)。コーヒーにまつわる子どもの頃の思い出は、倉庫に積まれたコーヒーの袋の上で飛び跳ねて遊んでいたことくらい。ただ、祖父や父がこの仕事を続けてきたのはもちろん、叔父や従兄弟など、多くの親族もコーヒーに関わっている。家族の中で自分だけがコーヒーに関わっていないのは、どこか引っかかるものがあったんです」
その心が家業へと傾いたのは、大学に通っていたコロナ禍の最中だった。もともと食に関心が深く、匂いや味を感じることが得意だったからだろうか。会社でおこなわれたカッピングに参加した際、未経験でありながらプロのカッパーと同程度の評価精度を示したのだ。自分にはこの分野の才能があるかもしれない──。そう思えたことで、俄然コーヒービジネスの世界に興味が湧いてきたのだ。

パブロ「この会社で働き始めて約1年。家族が三世代にわたって続けてきた仕事に携わるのと、まったく縁のない会社で働くのではわけが違う。自分が背負っていくであろう歴史や物語、そしてつながりの重さを考えると、簡単に肚を決めることはできません。
でも、以前よりは前向きに捉えています。たとえば父が話していた発酵にしても、従来のメキシコのコーヒーとはまったく違う風味が出ていて好奇心がくすぐられましたからね。『唯一無二の味わいを持つ高品質なコーヒーをつくりたい』という思いが、僕の原動力になっています」
1960〜70年代のメキシコにおいて、石油と並ぶ外貨獲得源として、国家経済を支えていたコーヒーは「緑の金」と呼ばれ、生産者や輸出業者は成功者としてもてはやされた。そんな父の時代とは対照的に、ヘススがコーヒーの世界に足を踏み入れてからは冬の時代に突入。国際価格の暴落、市場の再編、病害の蔓延、ハリケーンによる甚大な被害など、試練が次々と襲いかかる中、1988年に父が引退して以来、一人で事業を背負うことになったヘススは、事業をたたむことも真剣に検討した。それでも再び前に進む決断をさせたのは、自分が家族の歴史を途絶えさせてはいけないという使命感だった。

ヘスス「祖父と父の時代に繁栄したオアハカの企業の中で、今でも輸出を続けているのは私たちだけです。だからといってあぐらをかいているような暇はありません。オアハカのコーヒーに魅力を感じる外資系企業が輸出に参入し、競争は激化しているからです。
私たちの第一目標は、コーヒー産地としてのオアハカを守り続けること。プルマは今も健在で、高品質であり続けている。その事実を世界に伝えるためにも、伝統と革新を融合させていくことは欠かせません。
私が息子によく話しているのは、『コーヒービジネスは高貴さと残酷さを兼ね備えている。情熱がなければ続けていけない世界だ』ということ。私はいつも、大きな試練とともに新しい機会を見せてくれるコーヒーは神の祝福だと感じています」