恩送りの精神で変化を生み出す。地域の未来をコーヒーに託して

地域の自然や伝統を守るためには、企業の参入を一定程度制限する法制度や政府による保護認定などの枠組みが欠かせない。そうした歯止めがなければ、商機を見出した企業や短期的な利益を追う個人によって商業主義が持ち込まれ、自然や文化的な営みは失われてしまう。好むと好まざるとにかかわらず、それが資本主義の原理である。

およそ5,000人、2つの部族が暮らすタイ北部・チェンライ県のスリマ地域は、厳しい規制を設けることで地域の自然や伝統を守ってきた場所のひとつだ。森林や水源、少数民族の生活文化が失われてしまわぬよう、政府から保護指定を受けており、たとえば外国人や地域外の人間は土地の所有権を得ることができない。村民の中にもその精神は深く根付いており、先祖代々受け継がれてきた森とともに生きる営みを粛々と守り続けてきた。
とはいえ、現金収入が物をいう近代社会において、こうした暮らしを維持することは極めて困難である。少量の野菜やコーヒー、茶の栽培、ホームステイの受け入れなどで限られた収入を得ている村民は、都市部で働く若者からの仕送りに頼らざるを得ない。コーヒーについても、庭に木が自生している状態に近く、生産性や効率性とは無縁の世界が広がっている。

そんなスリマの独自性を守りながら、コーヒー生産を通じて地域の持続的な発展をサポートしているのが、台湾発のNPO・CPDPだ。村人たちに精製施設や技術指導を提供し、消費国の顧客へとつながる仕組みをお膳立てしている。会計士を除くメンバーは、活動による給与を一切受け取らず、完全な慈善事業として運営されている点も特徴的だ。なおCPDPのプロジェクト資金は、同団体が生産・販売を支援するコーヒーの収益と、個人からの寄付によって賄われている。

CPDPが同地域に関わり始めた2023年以来、相場より20〜30%高いプレミアム価格でコーヒーチェリーを即金で買い取る事業モデルが村人たちに支持され、1年目は10トンだった生産量は3年目にして80トンまで拡大。自前の精製施設と高い専門性が、スペシャルティコーヒーの安定供給を支えている。
さらにCPDPは、地元の高齢者の怪我や転倒を防ぐため、街灯がわりとして要所にLEDライトを設置するなど、チャリティ活動も並行して実施。育苗と精製、チャリティの三本柱でプロジェクトを推進しているマネージャーのアランに話を聞いた。

持続的に発展していくエコシステムを
アランがスリマ地域を支援の対象に定めたきっかけは、チェンライ県内の大学で催されたコーヒーのシンポジウムだった。「環境」や「サステナビリティ」をテーマとした同イベントにゲストスピーカーとして招かれた際、会場の一角で自分たちのコーヒーを販売している若い夫婦、ジョーとマイルドの姿が目に留まった。
店先に並べられたコーヒーの豆面からは彼らが丁寧に選別していることが見て取れた一方、精製プロセスに課題があることは一目瞭然だった。二人に話を聞いてみると、精製方法を教えてくれた仲買人から「すべて買い取る」と約束されていたにもかかわらず、ある時を境に、連絡がぱったり途絶えてしまったという。

二人は当時、祖父母の農園を手伝うために都市部から地元のスリマに戻ってきたばかりだった。収入源はコーヒーのみで、設備投資による借金も抱えている状態で、5トンほどのコーヒーが売れ残っているのだ。お世辞にも品質はよいとは言えず、売り先を見つけるのに苦労することはたやすく想像できたが、このままでは彼らの人生が立ちゆかなくなる──。見て見ぬふりができなかったアランは、彼らのコーヒーをすべて買い取ることを約束したのである。
その後、アランはCPDPのメンバーとともに、コーヒーの栽培、収穫技術をジョーとマイルドに教え始めた。二人を通じてスリマ地域の実情に触れるうち、アランは村人たちの高い環境意識のみならず、コーヒー生産地としてのポテンシャルの高さに強く惹かれていった。

「標高は800〜1500メートル。熱帯雨林気候で降雨量が多く、昼夜の寒暖差が非常に大きいので、チェリーはゆっくり成熟し、糖度も22〜23度まで高まります。加えて、企業主導で主にカティモールが植えられてきた他地域と異なり、オーガニックな環境のもと、ブルボン、ティピカ系の品種が中心となっているところも魅力です」
もっとも、CPDPのようなよそ者にとって、スリマで事業を行うリスクは著しく高い。地域外の人間が関わる場合、「5年分以上の資金を一括で前払いする」という条件を課されるからだ。そのうえ投資に見合うリターンを村の農家が生み出せるかどうかは未知数である。それでもCPDPがコミットできたのは、慈善事業だからこそだった。アランはいう。

「正直に言うと、最終的にうまくいくかどうか、裏切られるかどうかはあまり気にしていません。私たちは7つの村のリーダーから、この地域で活動する承認を得ていますが、約束された未来があるわけでもない。私たちのよりどころは『もし私があなたを助けられたら、いつかあなたが別の誰かを助けられるかもしれない』という相互扶助や恩送りの精神です。
ジョーとマイルドは、私たちにとっていわば保証人のような存在です。地域の人たちのロールモデルになるには、口だけでなく、目に見える形で示す必要がある。だから彼らの名義で土地を取得し、そこにコーヒーを植えました。契約の多くも、彼らの名前で結んでいます」
地域の人々の信頼を得るために、CPDPは農家、精製者、会社の取り分をすべて見える化することで、透明性を確保している。また、コーヒーの木という“資産”を各農家の土地に植え、農家に毎年一定の収入を支払う一方、収穫されたチェリーの利益は会社と分け合う仕組みを採用している。スリマでは高齢化により土地が放置されているケースも少なくないため、そうした土地の整備や維持管理といった仕事を若者に提供し、雇用創出にもつなげている。
「結局、信頼関係がなければ、人は身勝手になり、まわりまわって自分たちの首を絞めてしまう。コーヒーで言えば、皆が少しずつ自分の木を植え、それぞれが個別で精製することで、品質にばらつきが生じ、売ることができなくなる。信頼が土台になければ、事業はうまくいかないし、地域を発展させることもできません」

地域の自立を後押しするため、CPDPは2024年から育苗事業にも着手した。初年度に植えたのは、研究機関から導入したSL28の種・約250万粒。最終的には150万〜200万本ほどのコーヒーノキが育つと見込んでいる。毎年新たに種を植え続けることで、中長期的には年間500〜1000トンずつ生産量を増やし、「高品質なコマーシャルコーヒー」を市場に送り出す計画を立てている。
「育苗はそれほど重労働ではないので、中高年層や子連れのお母さんでも働きやすく、雇用につながります。私たちの目的は、自分たちが介入しなくても地域が自走し、持続的に発展していくエコシステムをつくること。若者世代が地元に戻り、家族と暮らしながら生計を立てられる環境を整えたいんです」

その証拠に、CPDPはジョーとマイルドに株式会社の設立を奨励。現在、二人は会社から給料やボーナスを受け取り、社会保険にも加入している。さらに、明らかにガタが来ているトラックやバイクでコーヒーチェリーを運ぶ安全面でのリスクも、会社名義で4WDのトラックを購入したことで解消された。毎月安定した収入が得られ、病院での治療時に保険が適用されることからくる心理的な安心感は、二人を新たな挑戦へと駆り立てている。
ジョーとマイルドがロールモデルになったことで、このエコシステムに参画するメンバーは当初の5〜6名から、2年目には40名、3年目となる現在は約100名にまで増加。かつての自分たちのような状況に置かれている誰かを引き上げるべく、二人は現在、育苗プロジェクトにも力を注いでいる。
「二人はまだ30歳前後。1年目は、村の人たちからただの若造としか見られていなかった彼らは、今や『リトルボス』と呼ばれる存在になりました。彼らが村の人たちからコーヒーを買い取り、地域に貢献している姿を見せたことで、立場は一変し、尊敬を集めるようになったんです」

「信じる」ことから関係は始まる
アランは、台湾で代々サトウキビを栽培する農家のもとで生まれ育った。しかし、1970年代以降、産業は斜陽化。多くの農家が利益率の高い果樹栽培に転向したり、農地を工業用地として売却する中、ほかに選択肢を持たなかったアランの家族は、仲間とともにタイに移住し、サトウキビ栽培を続ける道を選んだ。1990年代初頭のことである。
1997年のアジア通貨危機も相まって、家計は常に火の車だったが、諦めずに事業を続けた結果、2010年頃からようやく軌道に乗り始めた。現在では同業者に範を示す存在となっており、アランの兄が現場を統括。アランはERPの管理や経営陣の採用、重要な経営会議に関与する程度で、多くの時間とエネルギーをCPDPのプロジェクトに注いでいる。
「私も含めたCPDPのメンバーは、この先の人生で衣食住に困らないだけの収入基盤を持っています。その状態で、日々の暮らしに困窮している人たちやコーヒーのサプライチェーンを見たとき、何かできることがあると自然と感じられるんです」
アランの中でその思いが一層強まったのは、数年前に敬愛する祖父を亡くしたことがきっかけだ。人はすべてを所有すべきではなく、最後には次の世代に手渡していかなければならない。それは自分の子孫でもいいし、まったく別の誰かでもいい。人は誰かの記憶の中で、生き続けられる──。その思いが「祖父の遺産を使って、SL28の種をスリマに寄付する」という行動につながったのだ。

「自分がとても恵まれた経験をしてきたからだと思います。11〜22歳まで暮らしたカナダのバンクーバーで出会った人々の優しさが、原体験として強く心に刻まれているんです」
多様なバックグラウンドを持つ人々が共存する社会を目指すカナダでは、異なる文化を受け入れ、理解し合おうとする姿勢が日常の中に浸透していた。
アランが通う学校で、バスケットボールチームのユニフォーム代が必要になったときのことだ。経済的に余裕のない家庭の子どもたちに、学校はクッキーを無償で配り、「これを売ってお金を集めなさい」と勧めてくれた。アランがそのクッキーを手に近所の家を回ると、多くの人が「クッキーはいらないから、少しでも足しにして」と、100ドルや200ドルを手渡してくれたのだ。肉屋で買い物をした際も、服装や話し方で移民だと察するからか、量を多めにしてくれることもあった。
「そこには、猜疑心のかけらもなく、素直に人を信じる文化がありました。現地の人々から恩を受けたおかげで、いつか自分も同じように振る舞いたいと自然に思うようになったんです。そして今、ありがたいことに、私は誰かを助けられる立場にいる。このプロジェクトに関わっていると、心がとても安らぎ、夜もぐっすり眠れるんです。

ただ強調しておきたいのは、このプロジェクトの主役はあくまで、ジョーやマイルドをはじめとした地域の人々だということです。特に二人は、精製の時期になると、夜12時に寝て朝5時に起きる生活を続け、チェリーの収集から選別、荷運びまで、地道で大変な作業に黙々と取り組んでいます。
私の願いは、このプロジェクトに関わってくれる人が増えていくこと。すでに台湾やマレーシア、香港などから訪れた人たちが、自分たちで木を植え、精製を学ぶ経験をしています。もちろん、今、スリマ地域で何が起こっているかを知ってもらうだけでも十分です。
もし今後5年間で育苗プロジェクトを成功させられたら、オーガニック認証とレインフォレスト・アライアンス認証を得た、今と同じ品質(86点程度)のコーヒーを『コマーシャルグレード』として良心的な価格で提供することを約束します。私たちの今を知る皆さんに、誇りを持ってコーヒーを届けたいと思っています」