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2022.11.15

とこわかの思想 Ever Lasting Regeneration:服部英二氏基調講演

2022年10月中旬、「SDGs〜永続的発展世代始動」をテーマに開催したTYPICA初の年次総会。日本の精神文化、そしてサステナビリティの象徴である伊勢神宮の参拝から始まりました。

それに先立って実施したのが、21年間UNESCO本部で勤務し、首席広報官や事務局長特別参与を歴任された服部英二氏の基調講演です。世界22ヶ国から集ったロースターや生産者は、英語、スペイン語による同時通訳を活用しながら、服部氏の話に耳を傾けました。

「所有=簒奪」ではサステナブルな発展は不可能

「地球の子供である人類が、もし母殺しの罪を犯すなら、もはや生き残ることはあるまい。それに対する刑は自己崩壊であろう」

 今日我々は母なる地球と人類自身の存亡の危機に直面しております。その危機とは、温暖化による異常気象、前例を見ない自然災害を言うのではなく、ほかならぬ文明そのものの危機なのであります。大著「歴史の研究(A Study of History)」という本を遺したイギリスの知の巨人、アーノルド・トインビーは、その遺言とも言える書に、我々への警告をこのように書き残していたのであります。 

46億年前、地球が誕生して以来、実は5度、生命の大量破壊が起こっております。それは、自然災害、主に、隕石の衝突であると、今は判明しております。しかし、第6の大量破壊が今起ころうとしています。そして、それは自然ではなく人類によって引き起こされようとしている。その原因は、近代における人間の価値の変化によるものだと私は思います。すなわち、近代文明は人間の価値を「存在=to be」から「所有=to have」に転換したのであります。限りない強欲の世界が市場原理主義から生まれ、地球資源を簒奪しています。

「地球はあらゆる人の需要を満たすことが出来る。しかし各人の強欲を満たすことは出来ない」

これは、インドの偉大なる指導者、マハトマ・ガンディーの残した言葉です。ガンディーはさらに現代の人間社会が犯している7つの大罪を指摘しています。

·   理念なき政治
·   労働なき富
·   良心なき快楽
·   人格なき学識
·   道徳なき商業
·   人間性なき科学
·   犠牲なき信仰 

これを挙げているんですね。ガンディーが殺された川のほとりにガンディーの碑がありますが、その土台にこの言葉が刻まれています。

今日私は、このような社会が出現した人類史における最大の出来事を指摘したいと思います。それは17世紀に起こった科学革命、それによる人間の「自然との離婚」という問題です。

科学革命を主導した二人の人、フランスの経済学者、ルネ・デカルト、それから「知は力なり」という言葉を残したイギリスのフランシス・ベーコン。この二人だけを取り上げます。

デカルトの思想は、私がこの図で示したものです。地球の中に人間がいません。地球を見ています。初めて地球を対象にして、自己という主体から離れた客体とした。生命史の体系から抜け出たデカルトのエゴは、純粋な理性オンリー、理性的な意識オンリーです。そこで自然との離婚が起こるんですね。

Cogitoというのは、Cogito ergo sum=我思う、故に我あり、デカルトのことです。このデカルト的理性の目は神の目に近い。人間そのものは、抽象化されているんですね。全体から一部を取り出すことをAbstraction=抽象と言いますが、この現象が人間に起こったのです。

その時、理性のみが神とされ、自然と対峙する姿勢が生まれました。主客、主観と客観が分離し、自然は非生命化され、母なる自然が資源になる。自然ではない、資源。つまり簒奪されるべき資源とみなされるようになりました。人間の理性の対象となった自然、これが切り離されているんですね。

この存在の二元論が、科学技術を発展させ、物質文明を飛躍的に高めたことは確かです。しかし、それが諸刃の剣となり、地球環境を危機的状態に陥れているのです。

現在の文明は「所有の文明」であり、「存在の文明」ではありません。「所有」とは、本来の自己ではない外なるものを自分の物にすることですね。それは簒奪であり、サステナブルな発展は不可能です。人類と母なる地球がこのような危機を迎えるにあたり、国連からSDGsという救いの目標が立てられたわけです。

Credit: Azote for Stockholm Resilience Centre, Stockholm University

全は個に、個は全に遍照する

SDGsとは何か? その答えは皆さんが今いるこの伊勢の地と緑の中にある。このことに気づいていただきたいです。

SDGsはこの図のように17の目標でピラミッドになっているんですよ。この下の方の土台ができなければ2段目はできない。2段目ができなければ3段目はできないことを示しているんです。

つまり、生物圏が出てきて、地球の海があり大地がありますね。これをまず維持しなければ社会的な目標は達成できないんです。社会的な目標が達成できなければ、上の経済的な目標は達成できない。

【生命誌絵巻】協力:団まりな 画:橋本律子

この絵図を見てください。この伊勢の地に来ると、World of Sustainability の一つのモデルが見られるのではないかと思います。「とこわかの思想」と呼びたいのです。

以下の文章は、2006年に伊勢志摩で開催されたG7サミットの時に頼まれて寄せた私の声明です。その一部を抜き出しています。

「19世紀から20世紀にかけて頂点に達した機械論的科学主義は、研究対象をあくまで理性に徹した観察者の外に置く主客二元論であり、そこから生まれた盲目的な進歩の概念が物質的な文明論を生み出しました。そのため今日では、二つの対立するイデオロギーが生まれています。文明のグローバル化の中に「成長」を見る科学技術的な見地と、その反対に文化的独自性=Cultural Identityの価値を尊重し、「多様性」を守ろうとする立場です。こうした根深い対立思想の背景には、科学と文化伝統は本質的に相容れず、越えがたい深淵に阻まれている、といういわれなき思い込みがありました。

この二つの明白に相反する立場の出現は、過去300年ほどの間であります。それは実は人類史の2万分の1の時間帯に過ぎません。人類が現れたのは約700万年前ですからね。その間に起こったのが、この科学革命以来の世界観です。西洋発の科学が古来のホリスティックな自然観から離れたことによる。(私はホリスティックを日本語で全一的と訳しております。全体主義という言葉があるから、全体的と訳してはいけないですね。全一的な自然観から離れている)

母なる地球を簒奪してきた人類文明により、今や我々は崖っぷちに立たされています。この危機に対処するには、科学的細分化、専門化を越えて、異なる諸々の文明の中に通底する価値を掘り起こす地球的な知見を見出さなければなりません。この知とはScientia(知)ではなく、ギリシャ語のSapientia(智)ですね。

1995年に私が東京の国連大学で主催した「UNESCO創立50周年記念シンポジウム」、そこで採択された驚くべきメッセージがあります。むしろ科学主義が忘れてきた、我々の先祖が育んでいた存在論に最先端の科学が結びついてくることなので、その一部を紹介します。

最近、量子力学をはじめとする最先端の科学は、宇宙には科学が放棄した先人たちの宇宙観に近い、ある種の全一的秩序が存在することを発見するに至りました。量子力学、これが一番重要ですね。万有の相関と相互依存を説くその新しい全一論によれば、(これは私の訳なんですけれども)全は個に、個は全に遍照する。これがメッセージの概略です。

これは東京でヘンリー・スタップとカール・プリブラムという最先端の科学者が起草した声明文です。この新しい存在論では、人間は大自然の一員として母なる地球と共に永遠の死と再生を繰り返す存在として再把握されるのです。それは「ともいき」の思想。生きとし生けるものの相互依存の実相の把握です。

このサステナビリティの象徴である伊勢神宮には、神社そのものが20年に一度白木で蘇る式年遷宮があります。これは石にも金にもまして、永遠の命を物語っています。かつてここを訪れたフランスの作家、思想家であり、文化大臣になったアンドレ・マルローは、この地でこういう言葉を残しているんですね。これはすごいですよ。

「ピラミッドよりも、カテドラルよりも、伊勢は雄弁に永遠を物語っている」

それから最初に出したイギリスのアーノルド・トインビー。奥さんとともに伊勢を訪問した時の感慨を次のように書き留めています。

「この聖なる地で、私はすべての宗教に通底する一なるものを感じる」

皆さんは、世界の様々な文化を代表しておられます。従って私は最後に国際社会が創りあげた大切な声明を引用したいと思います。それは、2001年の9・11。ニューヨークのツインタワーが崩壊したあの時です。

この大事件の直後、驚くべきことにUNESCO総会が満場一致で採択し、多くの国の代表が人権宣言に次ぐ重要な宣言だと言ったのが「文化の多様性に関する世界宣言」です。人類の生存には多様性と互敬の精神=Mutual respectが大切であると説いたもので、その第1条はこのように明記しています。

「様々な交流、刷新、創造の源泉として、文化の多様性は自然界に生物多様性が必要であるのと同じく、人類にとって不可欠である。その意味で文化の多様性は人類の共通遺産であり、現世代と未来世代のために認識され、肯定されねばならない」

それから第7条に、このような名言があります。

「創造は文化の伝統に根付くものであり、それは、他の文化との出会いによって花を咲かせる」

ありがとうございました。

Mutual respectがつくる「豊かで美しい世界

(質疑応答)

アブドゥラマン:世界がメタバースへと技術的進歩を遂げつつある中で、人間としてのアイデンティティと科学技術がうまく調和するあり方とはどのような形でしょうか? メタバースや量子コンピューティングが今後さらに強力なものになる中で、人と人とがつながり続け、価値観やアイデンティティを維持するために必要なことは何でしょうか?

服部:非常に重要な点を指摘してくださいました。量子力学、量子物理学は従来の物理学と根本的に違う。それまで理性は対象の中に入らず、対象を見てるという立場を取ってきた。

ところが、20世紀のはじめに量子力学が生まれます。これはすごい転換なんです。実在という壮大なドラマの中で、各人は観察者であると同時にプレイヤーである。観客であるだけでなく同時に演技者だと言うんですね。アメリカのバークレーグループです。

これを端的に言ったのがニールス・ボーアと不確定性原理を提唱したハイゼンベルク。でも今日話したような古典的科学主義は二分論、あるかないかでやっていたんですね。科学主義の最たるものが実はデジタル化です。

皆さんが使うどのコンピューターも0と1の言葉しか並んでいない。なぜなら、電気のONとOFFだけでずっとやっているからです。ここに富岳のような超スーパーコンピューターが現れて、とてつもない長さになっていくんですけど、最後は必ず0か1なんですね。

現在、今のスーパーコンピューターの何百万倍に性能を高めると言われる量子コンピューターが作られつつあります。その数式を見たとき、私はびっくりしました。0の中に1がある。存在、即、非存在ですね。「ある」と同時に「ない」。これはまるで禅の境地、あるいは華厳経の境地。日本に伝わった仏教の立場ですよね。でもこれは案外、ヨーロッパや中央アジアにもあるんですよ。この思想が量子物理学から出てきたことを、私は非常に恐れをもって見ているんですね。

ただ恐れは、希望でもあるんですよ。多分、量子コンピューターの出現が今までの二元論的な存在論を破ってくれるのではないか。この量子力学の立場では、皆さん一人一人、今ここにいる、今ここで思っていることが社会を変えている。あなたがそこにいることで、何兆分の一でもあるけど変えている。この思想を我々が共有する。これが今日申し上げたとこわかの思想に結びついているのではないかと思います。ありがとうございます。

ナシア:皆さん、おはようございます。私はここにいるボリビアチームのみんなとボリビアからやってきました。まず初めに服部先生、ありがとうございました。今日の講演でうれしい気付きがありました。

ちょうど昨日、チームのみんなと一緒に考える機会がありました。ボリビアのような多種多様な文化が存在する国で、私たちは何をすべきなんだろうかと。多くの文化が今日まで残ってきたことでボリビアは豊かになった。でも、私たちは本当に最善を尽くしているのだろうか、これからどのように生きていけばよいのかと考えていました。

例えば宗教や政治は、ボリビア国民を分断しうる大きなテーマです。不必要な衝突が生じるので、できるだけ触れないでおきたいテーマです。でも衝突を避けるのは、大切なテーマから逃げていることと同じ。宗教や政治は私たちの仕事や生きがい、私たちの存在の礎となっているものです。

今日、服部先生とマサさんの話を聴いて、私たちはこうしたテーマから逃げてはいけない、宗教について語るのを恐れてはいけないと思いました。話してもいないのに相手のことをジャッジしたり壁を作ったりせず、むしろ一つになり、互いを理解する方法を探さなければいけないのだと。

宗教は多様であり、宗教で一つになれる訳がないと思っていましたが、とても均一で同質の宗教が一つあります。それは私たち人類の故郷、母なる地球です。

かつて美しい言い伝えを聞きました。「水は私たち一人ひとりを養ってくれる母なる大地のミルクである」と。ここにいる私たちはみんな兄弟なんです。誰もが母なる大地のミルクである水を飲んでいるのですから。

母なる地球とともにある宗教も、私たちをきっと一つにすることができるとどの国でも理解してもらえたらと思います。ありがとうございました。

服部:大切なことを言っていただいてありがとう。今日少し話したことなんですが、全ての民族は一つの伝統を持っている。その違いをもっとリスペクトしなきゃいけない。

現在も第二次世界大戦後から、一つのアイデアだけでGlobalizationが進められてきた。このUniformizationを進めていくと人類は滅びるんですね。やはり多様性があってお互いを生かし、その関係を自分自身の中に見つめなきゃいけない。

南米の場合もたくさんの文化があった。私はマヤ文明は素晴らしい文明だと思っています。これは循環の思想ですから、非常に高く評価しているんです。でも私は、歴史を直線的に見る方法が世界を動かしてきたと思っています。

20世紀の終わりにスペイン・バレンシアで、3千年紀の記念財団というのができたんです。そこに招かれて行った時、非常に印象的な言葉を語った人がいます。イタリアのウンベルト・エーコ、歴史作家ですね。彼の話の中に私をハッとさせる表現がありました。

「過去2000年の歴史は矢のように進んだ。しかしこれからは、文明のイメージをConstellation=星座に変えなきゃいけない」

矢のように進むことがよく思えた頃があり、日本も含む多くの国がそれを真似た。でも、これは危険だったんです。破壊への道ですよ。矢のように進む文明は、最後は亡びるんです。

矢のイメージの歴史観といえば、ヘブライのキリスト教の歴史観。確かに神が作り出したものではあっても最後に待っているのはヨハネの黙示録。つまり、終末があります。終末論が書いてある。それを多くの人が忘れているんです。その時間論には終末があることをあえて言おうとしない。

実は神様の言葉であり、この聖書に出てくるエデンの園。父なる神がアダムとイブをつくって彼らに言葉を引き継ぐ。

「生めよ、増えよ、地を従わせよ。空飛ぶ鳥、海に棲む魚、地に這うすべての生き物を制御せよ」

この聖書の創世記に出てくる言葉を勘違いした人々は引用して、だから人類が増えるのはいいんだ、他の生物を支配してもいいんだと考えているんですけど、非常に大きな間違いなんですね。

何ならそういう進歩主義、科学主義をとった人、17世紀にその科学革命を行った思想家たちが、まさしくそれを言った神様を殺したことを忘れているんですね。

エデンの園で、神は人格神です。私みたいに白髪でもっと髭を生やした神様が人間の顔をして人間に話しているんです。その神様は17世紀くらいにヨーロッパの社会で亡くなります。

デカルトが神を語ってもそれは限りなき小さな一点。点ですよ、点。17世紀以来、エデンの園を歩いてアダムに語ったその神はいないんです。生きた人間の顔をした神様のことはみんなが忘れている。忘れているというか、消しちゃった。その中で、進歩主義者の人々が神様の言葉を引き出して「我々のやっていることは正しいんだ」というのはおかしい、全く滑稽な話です。

ですから私はバレンシアの会議で、ウンベルト・エーコの「これから文明のイメージは星座に変えなきゃいけない」という言葉に共感します。ボリビアでも、コロンビアでも、ブラジルでも、メキシコでも、それからヨーロッパの国も、インドでも、タイでも、インドネシアでも、Mutual respectなんです。これが豊かな、美しい世界にしてくれることを私は確信しています。

市民の声が大きな力になる

山際:みんな一つという思想を実践し、より良い世の中をつくるためにはどうすればいいでしょうか?

服部:ありがとうございます。私が今日、皆さんに紹介しました文化の多様性に関する世界宣言というのは非常に重要なんですね。今まで他者の存在をどう扱ってきたかということです。

他者の存在、differenceに対する憎しみは20世紀、大体コソボやオスマン帝国等で宗教の違いに対して起こった戦いですよね。そういうことがごく最近まで起こっていた。多くの国で他者に対する恐れや憎しみが人類史を彩ってきたことを見なきゃいけないと思います。

たとえば、ローマ帝国が紀元前2世紀から紀元後4世紀までありました。ローマ帝国は大帝国だったけれど、ローマ人だけじゃなく、中央アジアやスペインの方までローマ帝国になったんですね。

ただそれは属州です。現代で言う植民地です。でもそれもローマの人々は、属州の人をローマ市民にすると言って許容したんです。そのやり方が、属州の人を下に見ているわけですよね。彼らをローマ市民のように扱ってあげるというやり方は、ご慈悲なんです。

でも、そうではないと文化の多様性に対する世界宣言は言っているんです。他人を寛容の対象とするのではなく、「我々とは違う他人がいてくれるからこそ私は生きている」という思想なんですね。他者があるからこそ、われがある、Thanks to …ですね。

アフリカではこれをUbuntu(ウブントゥ)といいます。君がいるから私がいる。凄い言葉ではないですか。

これが実は文化の多様性に関する世界宣言の中で書かれています。他者は私の存在理由なんだ、他者の存在があるから私がいる、Mutual respectの世界を描いた宣言なんですね。

あまりにも有名な第一条と第七条を今日、紹介しましたが全文読んでもらっていい宣言です。世界人権宣言より優れていると思います。

2001年の9.11、この時のアメリカ大統領だったブッシュは、アルカイダによるテロだとすぐに断定しました。でもアフガニスタンは関係ない。アフガニスタン人は一人もニューヨークのツインタワーへのテロ攻撃に参加していないんですね。参加したのは大半が、ウサマ・ビンラディンと同僚のサウジアラビア人で、そこにエジプト人が加わっている。でも、アメリカはサウジアラビアもエジプトも攻撃せず、アフガニスタンを攻撃した。

こんな憎しみの時代からどうやって転換していくか。ブッシュ大統領が9月の演説ですごいことを言いました。

「我々につくか、テロリストにつくか」

ブッシュは世界中に二者択一を迫ったんです。でもそのたった1ヶ月半後に、「違いを尊重しよう、他者のために私がある」というこの宣言がパリで採択される。しかも、満場一致ですよ。やはり世界には良識ある人がいるんですね。先進国もこぞって同調していますから。

じゃあアメリカはどうしたのか。当時アメリカはUNESCOが政治化していると言って、1984年から抜けていたんです。だから満場一致になったんですね。

この宣言を推進したのはフランスとカナダです。その2国が先頭に立って、拘束力のない宣言を国際条約にしようと動き出すんです。そしたらブッシュは「我々はUNESCOに入っていない。国際条約になったら非常に困る」と言って、2003年にUNESCOに戻ってきたんですね。  
ともあれ、その宣言はアメリカを除く全ての国が賛成したという意味で本当に大きな事件であり、大きなUNESCOの成果だと思います。

それからもう一つ、1995年に私が主導してUNESCOの50周年記念ということで大きなシンポジウムをやりました。日本はもちろん、外務省、文部省も動員しました、このシンポジウムに基調講演で招いたのが二人です。日本側からは大江健三郎。彼はその前年にノーベル文学賞を受賞した時の人だったからです。

でももう一人、全員が基調講演に呼びたかった人がいます。ジャック=イヴ・クストー。アカデミー賞を受賞した映画「沈黙の世界」から始まり、世界中の海のみならず陸も調査した地球科学者ですね。「この人をぜひ招いてほしい」という色んな声を背負って私がクストーを東京に招きました。彼が国連大学で証言したことが、文化の多様性に関する世界宣言のもとになっているんです。

このクストーが「未来世代はここに生きている皆さんの子供や孫じゃない、もっと先の未来世代の子供が美しい地球を享受する権利だ」と宣言しました。5箇条を書いて世界中で800万人が署名したものですね。

これは面白い話なんですが、クストーが東京に着くなり私に、UNESCO事務局長のマイヨールとの二人きりの会談の場を設定してほしいと言いました。ただ、二人とも全然時間が空いていない。だからマイヨールの部屋で朝食ミーティングを設定しました。それが大きな成果をもたらしたんです。

1995年、クストーの非常に親しい盟友とも言える、フランスのシラク大統領が、彼の「未来世代の権利」というアイデアに賛同して彼のために「フランスの未来世代の権利国内委員会」を作ってたんですね。クストーはもちろんその委員会の議長だった。

ところが、2001年のお正月にフランスはムルロア環礁で核実験を10回行ったんですね。核実験禁止条約が発効される直前に駆け込み実験をやったんです。

すると、テレビに自分の1時間番組を持ってたクストーは生放送で痛烈にそれを非難したわけです。フランス人のクストーが「フランスの決定はとんでもないことだ」と言って。その場で核実験を非難すると同時に、フランスや盟友シラクに抗議するために「フランス政府から与えられた全ての役職を辞任する」と言っちゃったんですね。それで彼が心を込めている未来世代の権利委員会もなくなったんです。

その後、クストーがマイヨールに「これから国際未来世代の権利国際委員会を作るから、UNESCOがその事務局になってくれないか」と言ったら、マイヨールは即決で「やる」と言ったんですね。マイヨールはパリに帰るなりUNESCOのMAB(人と生命圏)の部長を招集して、「未来世代の権利国際委員会を作ってやりなさい」と命令した。

このことからUNESCOで1997年10月に、もう一つの宣言が総会で採択されたんです。それが「未来世代のための現代世代の責任宣言」です。未来世代が美しい地球を共有するために、現代社会はそれを実現すべく努力しなければならないということなんですけれども、非常に残念なのはこの宣言が採択された3ヶ月前にクストーが亡くなったのです。

こういう非常にドラマチックな展開があります。でもこの未来世代の権利に賛同し、行動を起こしている人が、ヨーロッパやアメリカなど、それぞれの国でたくさんいます。

私はやはり、市民の声が大きな力になると思っています。皆さんは色んなところで世界の文化を知ってリーダーになる人ですから、たとえ少しでも世界を変えられるんですね。基本、全ての国の大小と、国の価値は関係ないということです、

上からの目線で他の文明を見るのではなく、小さな国の文化であっても対等の目線でみるMutual respectというのが一番大切だと私は思います。実際にその国に行って自分の足で歩く、自分の目で見る、自分の頭で考える、そういう態度を取っていっていただきたいと思います。