東京・世田谷区の中央部に位置する経堂。新宿駅から各駅停車でも20分ほどの距離にあり、大学も近いことから、若者からファミリー層、お年寄りまでたくさんの人が行き交う街だ。閑静な住宅街に囲まれた駅前通りを進んだ先に、2022年春にオープンしたRaw Sugar Roastは佇んでいる。
Raw Sugar Roastを開業したのは、国内外のロースターで経験を積んだ小田政志さん。バリスタとして約10年のキャリアを持つヘッドロースターの小坂田祐哉さんとともに「キャリアパスが限られたコーヒー業界の現状を変え、バリスタが活躍できる舞台を広げていきたい」と口を揃える。そんな二人の現在地とは。
できるだけ「最短ルート」で届けたい
Raw Sugar Roastを運営するSwimがカフェ「amber」を東京・自由が丘にオープンしたのは、2022年11月のことだ。コーヒー専門店に近いRaw Sugar Roastとは異なり、朝食やお酒も提供するamber。2号店を複製するのではなく、新しいブランドを立ち上げたのには明確な意図がある。
「バリスタは、30歳頃になると将来が見えなくて辞めざるを得ない『夢のない職業』のように思われています。だけど、カフェで働くこと、トップバリスタになることだけが道じゃない。それを自分たちで証明して、家族を持てるような収入を得られると伝われば、業界を去る人を減らせると思います」(小田)
そのビジョンから逆算して、小田はメニューの共同開発、カフェのトータルプロデュースやブランディング、トレーニングなど幅広く事業を展開してきた。将来的には、海外展開や生豆の輸出入事業、マシンのメンテナンスを行う技術者の雇用なども見据えている。
もっとも、それらは「美味しいコーヒー」があってこそ成り立つものだ。「自分たちが美味しいと思うコーヒーの魅力を伝えていく」ために、店では必ずしも客の注文に100%寄り添うわけではない。
「たとえばケニアは数ある生産国の中でも『一番酸味が強い(明るい)』と言われていますが、僕らが言う酸味と一般の方たちが認識している酸味って別物なんです。なので『酸味がないもの』と注文されたら、あえてケニアを薦めて、『すごく美味しかった』という感想を引き出そうとする場合もある。お客さんの先入観や固定概念を変えることも、僕らの責務の一つだと考えています」(小坂田)
そのうえでRaw Sugar Roastは、誰が淹れても味にブレが出づらいレシピ作りを重視している。その役割を担っているのがヘッドロースターの小坂田だ。
「とはいえ、どれだけレシピを細かく統一しても、淹れる人によってコーヒーの味は変わるものです。自分が焙煎した豆が手元から離れると、コーヒーの価値が少し薄れてしまう気がするんです。それは生産者からバリスタまで、すべての作り手が同じだと思います。『人』というフィルターの影響をできる限り小さくするために、後輩の育成には力を入れていますね」
「一杯で感動させる」「コーヒーの概念を覆す」をモットーとする小坂田は、「飲み手までの最短ルート」を大切にしながら10年以上バリスタを続けてきた。それは、過去に音楽をやっていた頃と重なる感覚でもある。
「音楽ってCDが売れても、作り手の手元から離れてしまえば曲そのものの価値が薄れてしまうと思うんです。伝えたいことを伝えきれなくなる。コーヒーも同じ。いかにしてフィルターにかけず、生のままお客さんに届けるかどうかが大事だから、僕はできるだけシンプルに生豆の個性を最大限表現することを心がけて焙煎しています。
目の前のお客さんに直接淹れなくても最短ルートで伝えられる方法が絶対ある。以前からずっとそう信じてきた僕にとって、多くの人の前でプレゼンとブリューイングができたTYPICA GUIDEのファイナルラウンドなんかはずっと待ち望んでいた機会だったんですよね」
“バリスタの限界”から見えた道
今は経営に関わる仕事がメインで現場に立つことはめったにない小田だが、もとは一人のバリスタだった。
地元・島根のCAFFE VITA (カフェ ヴィータ)での4年間を皮切りに、横浜や渋谷のコーヒー店でバリスタの経験を積んだ。バリスタとして日本で一旗揚げたいという志を抱いていたが、オーストラリアで焙煎を学んだ後、イギリスのコーヒーカンパニーで既存の枠組みにとらわれない新たな道を見出した。そこは店舗を持たない焙煎所だったが、焙煎豆の卸売、トレーニング、マシンの修理など、コーヒーの裏側をサポートする事業を行っていた。
「そこで働いていたのは僕を含めて3人だけ。でも取引先には、ボーダフォンやロンドン市内で複数の店舗を展開する会社があって、1日200〜300kgの豆を焙煎していました。コンペで優勝した実績や知名度がなくても仕事は作れることを学びましたね」
その頃、日本ではかつて同じような立場だった仲間たちが、次々と独立し、有名になっていた。だが小田は対抗心を燃やしつつも、彼らの後を追うつもりはなかった。まだ確立されていないポジションを作るべきだという視点が、開業につながった。
「トップバリスタだけが業界のゴールというのは狭すぎます。実力のあるデザイナーは、パソコンが1台あれば仕事をとれる。バリスタも同様に実力や情熱で仕事を作り、価値を高めていけるんじゃないかと考えたんです」
一方、反骨精神にあふれたパンクミュージックを好み、同じような世界観を持つ仲間と過ごしていた小坂田は、地元・北海道から上京後も音楽活動を続けていた。そんな彼が、バリスタという職業に出会い、心惹かれるのは必然でもあった。
「バリスタって大量生産で作られるコーヒーに対するアンチテーゼだと思ったんです。機械的な作業と違って、一杯一杯ハンドドリップで淹れるのって、めっちゃパンクじゃんって」(小坂田)
その後、バリスタの世界チャンピオンが立ち上げたPaul Bassett(ポール・バセット)で働いたのち、代表の鈴木とともにGLITCH COFFEE & ROASTERSの立ち上げに参画。10年近くにわたり、バリスタとしての道を歩んでいたが、30歳を目前にバリスタを辞めようかと悩み始める。
「将来を考えることができなくなっていました。バリスタがコーヒーの価値を伝えて広めていくためには、お客さんの目の前で一杯ずつコツコツ淹れるしかないと思っていたので、このまま無数のコーヒーを淹れ続けないといけないのかと愕然としましたね。
ただ、コーヒーの世界を離れたいわけじゃなかった。実は、ライターになろうと思っていたんです。文章なら一度に多くの人にダイレクトに伝えられるじゃないですか。でも最終的には、たくさんのお客さんから『辞めるのはもったいない』と言われて、思いとどまりましたね」
別々の場所で、前例のない在り方を探し求めていた二人は出会ってすぐに意気投合。2020年、小坂田が加わったことで相乗効果が生まれ始めた。
「イベントに出るにしても二人の方が話題になるし、経営者的な視点を持つ僕と現場を知る小坂田の二人で味を見た方がいいものに仕上がるんです」(小田)
実力があれば人は来る
2021年春。小田はイギリスでの経験をヒントに東京・羽田空港近くに焙煎所を設立した。
「羽田は昔からの町工場が並ぶ、モノづくりの街であり、人情の街なので独特の空気感があります。新しいことを始めるにはおもしろい場所だなと思ったんです」
自分たちが選んだコーヒー豆を焙煎し、カフェやレストランに販売する仕事は自由で楽しかった。しかし、生活者の顔が見えないことが徐々に物足りなくなってきた。
焙煎所にこもって焙煎しているだけだと、いい味は作れないんじゃないか。そんな疑問からオープンしたRaw Sugar Roast。コーヒーを楽しむ人の顔を目の前で見られて、その反応がダイレクトに返ってくる。忘れていた感覚が蘇ってくる気がした。
「僕が海外に行くのは、そこに目当てのコーヒーショップがあるという理由が大きいので、自分で店をやるにしても、実力があれば遠くからでも来てくれると思っていました。実際、海外からはるばる足を運んでくれる人もいるのは嬉しいことですよね」(小田)
「一般的なコーヒー屋は、カフェラテやカフェオレなど、ミルク系のコーヒーを頼むお客さんが全体の7〜8割を占めます。でも僕らの店は、こちらから薦めているわけじゃないのに半分以上がブラックコーヒー。『エチオピアが好きで』みたいなことを言う20代前半の女の子もいたりして、時代の変化を感じています」(小坂田)
先駆者としてバリスタの未来を変える
事業を立ち上げてから3年が経った今、雇用するスタッフは約10名までに増えた。実績や知名度がなくても、コーヒーに関する知識と経験、行動力があればできないことはないと二人は身をもって示してきた。
「僕がスタッフを採用するときの基準は、この仕事を本当にやりたいという意志があるかどうか。なぜコーヒーを仕事にしたいのか、将来どうなりたいのかといったビジョンが明確で、高い意識を持っていれば、実力は後からついてくると思います」(小田)
小坂田もまた、自らが範を示す存在となっている。他店のレシピ作りや品質管理を手がけるほか、セミナーや専門学校の講師を務めている。
「今まで身につけてきた知識や技術を若い子たちに教えれば、彼らが僕の年齢になる頃には、僕を超えていけると思います」
ただのバリスタでは飽き足らず、進化を続ける彼らを突き動かすもの。それはカウンターカルチャーの中で培ってきた「ありふれた」ものに対するアンチテーゼと「コーヒー業界を変えたい」というブレない芯の強さだ。
「この業界には、コーヒーを淹れている自分が好きな人や、ファッション感覚でコーヒーをやっている人が多いのも事実です。言い方は悪いですけど、彼らは歌いたくもない歌を歌わされているのに近い感じがする。僕は『ファッションではなくパッション(情熱)を纏え』とよく言うんですが、すっからかんな人が増えてしまったら、バリスタはいずれ券売機と全自動マシンに取って代わられると思います。
水とコーヒー豆という限られた素材に向き合い、余計なものをできる限りなくしていく。そのためには感覚を研ぎ澄ましていかないと自分なりの一杯は出せないし、それが自分の表現になるのだと思います」(小坂田)
「ただ、ビジネスである限り、コーヒー屋の経営は“好きだから”、“美味しいから”だけでは成り立たないシビアな部分もあります。僕が働いていたイギリスのロースターは一定の批判を受けるのも覚悟の上で、顧客から求められているものにフォーカスして事業の安定性を維持していた。その上で幅を持たせることが重要だと思います」(小田)
いつの時代も、イノベーションを起こすのは異端児だ。初めて出会ったときから「いつか絶対一緒にやりましょう」と語り合っていた二人が、同じ場所で同じ目標に向かって走り始めて約3年。二人の後にはもう、道はできているのかもしれない。
文:相馬 香織
写真:Kenichi Aikawa
MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」
僕にとっては仕事場で飲むコーヒーが日常です。納得のいく焙煎や抽出ができたときに幸福感を感じます。普段家でワインを飲んでいても、こんなコーヒーを作りたいなって考えてしまうんです。お酒や食事、音楽や絵画など、あらゆるものから受けたインスピレーションが僕の表現の一部になっています。(小坂田)
朝、誰もいないところで飲むコーヒーが一番幸せですね。毎朝5時に起き、量も温度も正確に計ってコーヒーを淹れる。厳しく鍛えられたCAFFE VITA時代の名残で、このルーティンを20年近く続けています。休みの日も同じ時間に起きてコーヒーを飲むのでそこまでは仕事モード。ほとんど強制的に少しずつ気分を切り替えていき、予定を決めています。(小田)