TYPICA GUIDE
KEYAKI COFFEE ケヤキコーヒー / 松木 勇介

KEYAKI COFFEE

ケヤキコーヒー / 松木 勇介

地元・仙台に「ホッとできる」場所を ~私は、コーヒーの力を信じている~

KEYAKI COFFEE

2016年7月、東日本大震災後に新しく生まれた仙台市内の街「なないろの里」にオープンした「KEYAKI COFFEE」。仙台出身で店主の松木勇介さんは、震災をきっかけに大手航空会社の整備士の職を辞し、コーヒー店を創業した。スペシャルティコーヒーを専門に提供しているのは「私の性格上、一番いいものを使いたいから」と、こだわりを見せる。地元に「ホッとできる」場所をつくるために、今日も営業を続ける松木さんの物語りとは。※文中敬称略

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サンフランシスコで見た光景を、仙台に

KEYAKI COFFEEの2号店となる卸町店は、1階にベーカリー「ブーランジェリー ジラフ」が入居する建物の2階にある。客は、ジラフのパンをKEYAKI COFFEEの店内でコーヒーとともに楽しむことができる。そんな店づくりは、松木が整備士時代に訪れたサンフランシスコのコーヒー店を意識したという。

「現地で見た衝撃は今でも忘れられません。広々とした店内で、焙煎機とエスプレッソマシンがあって、コーヒーがつくられる過程を全て見ることができる。バリスタもお客さんと話をしながらコーヒーを淹れていて、なんだかすごく楽しそうに見えたのです。

平日でも、休日でも、朝からたくさんの人がコーヒーを飲みに来て、他愛もない話をしながらひと時を過ごす。そこから、サンフランシスコに住む人たちの一日が始まる。コーヒーが、生活を彩る重要なツールになっているように思えたのです」

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朝7時からオープンしている卸町店。広々としていて、穏やかだが活気に満ちた店内は、松木があの日サンフランシスコで見た光景に近づいている。

「独立して6年目にして、ようやく思い描いていた理想が現実になりそうです」

サンフランシスコで覚えた感動を、松木が仙台で再現しようとしたのは、東日本大震災がきっかけだった。

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思い立ったら、行動に移せる自分でいたい

松木の幼いころからの夢は、仙台空港で働くことだった。両親に手を引かれ、度々空港を訪れるうちに、「空」に対する憧れのような気持ちが芽生えていた。

商業高校を卒業後、航空整備士になるための専門学校に入学し、猛勉強を重ねる。狭き門をくぐり抜け、晴れて夢の職業に就き、羽田空港で働くようになる。

「仕事は本当に楽しかったですよ。定時の2、3時間前に出社して、資格取得のために勉強していました。10~15年後には、仙台空港で働くことができる、そう思って毎日頑張っていましたね」

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東日本大震災が発生したのは、松木が整備士になって、2年目の終わりの春だった。

「私が住んでいた荒浜という地区が、津波の被害を受けました。家という家が全て流されて、思い出の場所も無くなってしまいました。家族とも、1週間ほど連絡が取れない時期が続き、近所の人たちが亡くなるという現実にも直面しました。その時から、仕事が一切、手につかなくなってしまったのです。

私が勤務していた東京は、ライフラインも復旧して、早くから日常生活に戻っていました。でも、地元では、本当に大変な思いをしている人がたくさんいる。そのギャップに耐えられなくなりました。『なんでみんな普通に生活できるのだろう』と。やっぱり、私がいるべき場所はここではない、今すぐ地元に帰らせてくれと強く思いましたね」

一刻も早く、仙台に帰りたい――。それだけが、当時の松木の願いだった。だが、地元に帰るという行為一つとっても、会社員という身分で簡単にできることではなかった。

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「帰りたいのに、自分の気持ちを抑えて仕事をしなくちゃいけない、何度も会社にお伺いを立てないといけない。本当に無力だな、と思わされました。そんな日々を繰り返すうちに、『雇われて働くのはもう辞めよう』と決意したのです。何かしたい、と思ったときにすぐに行動を起こせる自分でいたかったのでしょうね」

20代前半の松木は、「事業を興す」ことを決断する。夢だった整備士の職を捨てるには、勇気が必要だっただろう。震災で一変した現実を前に、彼は自分に正直に生きようとしたのかもしれない。

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仙台で「ホッと」できる場所をつくる

みんなが落ち着いて集まれる場所を作るために起業する、と決めた松木には、いくつかの選択肢があった。インテリアデザイナーや家具屋になることも考えていたなかで、コーヒーと出会ったのは偶然だった。

当時、東京では猿田彦珈琲の本店がオープンし、『BRUTUS』などの雑誌もコーヒー特集を組むなど、コーヒーが「ブーム」になっていたのだ。

「コーヒーを飲むことは元々好きでしたし、興味もあったので、東京のカフェを巡ってみたのです。基本的にはオーナーさんが一人でやっている店や、少人数で回している喫茶店が多く、『これなら自分にもできる』と感じました。

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それに、コーヒー屋さんで、一杯のコーヒーを飲んでいると、「ホッと」している自分がいたことに気付いたのです。コーヒーの力、と表現すれば良いのでしょうか。飲む人が、自然と元気になれる、笑顔になれる空間として、コーヒー店を仙台で開きたいと思うようになりました」

以来、松木はそれまで整備士の資格取得のために充てていた時間を、コーヒーについての学びを深めるために使うようになった。著名な経営者の本や、心理学についての専門書を読むようにもなった。

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 世界チャンピオンに学んだ「一流の姿勢」

だが、目標を実現するための具体的な道筋が、まだ松木には見えていなかった。

そんなときに出会った丸山珈琲に入社することを決めたのは、第15代ワールドバリスタチャンピオンの井崎英典など、トップレベルを目指すプロが集まる環境に惹かれたからだ。

「入社して2か月で、井崎さんが世界大会に挑戦するための前哨戦として、社内でプレゼンテーションを披露するイベントに参加した時の衝撃は今でも忘れられません。『これが世界トップクラスのバリスタか』と。目力や言葉の力に圧倒されて、コーヒーの味は覚えていないのですが、全身全霊でコーヒーを淹れている姿が脳裏に焼き付いています」

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松木は丸山珈琲で3年間働いた後、仙台に本店を構えた。当初から掲げていた「自分の店を10店舗持つ」という目標を実現するためには独立のタイミングは早い方が良いと考えていたからだ。

「昔から、目標を立てて、コツコツ努力をすることが嫌いではないのです。地味な作業も楽しめてしまうところも幸いしたのでしょうか。日々の積み重ねをおろそかにしないためにも、目標はできるだけ高く設定した方がいいと思っています」

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松木は、商業高校を卒業後、航空整備士になるための専門学校に入学した。てっきり、卒業さえすれば自動的に整備士になれるものだと思っていたが、ふたを開けてみると、整備士として働けるのは全体の1/4程度だと知る。

「死ぬ気で勉強しないと、と思いましたね。学費がもったいないですし(笑)」

誰よりも朝早く学校に行き、ノートを広げた。3年間の勉学の末、夢を叶えることができた。地味な作業を積み重ねることが目標を達成するための近道だということを、松木は身をもって体験していた。

本店出店時には、タイミングも後押ししてくれた。被災者が内陸部に家を建て替えられる権利を活用し、なないろの里にある本店を建てることができたという。コーヒーの道を信じ、独立を目指していた松木に、運命も味方してくれたのかもしれない。

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コーヒーには、飲む人を「ホッとさせる」力がある

KEYAKI COFFEEでは、空気圧を使ってコーヒーを抽出する「エアロプレス」で日本一に輝いたスタッフが働いている。バリスタの小原美智子だ。

「ジャパン・エアロプレス・チャンピオンシップ」への出場に向けて、松木は小原と二人三脚で練習を重ねた。

「審査員をお客さんだと思って、普段の業務で気を付けていることを大会でも出せるように、と口酸っぱく伝えていました。自分はジャッジ役に徹して、時には『コーヒーが熱すぎて、ジャッジに優しくない。考えが足りない』とか、厳しく言ったりもして(笑)。

だから、他の出場者のことは全く気になりませんでした。飲む人の気持ちに寄り添って、一杯のコーヒーを出すことに集中していたから、優勝できたのでしょうね」

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そんな松木の哲学は普段の営業でも一貫している。

「やっぱり、すべてのコーヒーには、バリスタの想いが乗ります。だからこそ、スタッフにも、一杯のコーヒーに対して誠実で、元気にコーヒーを淹れて欲しいのです。スタッフの気持ちが入っていないな、と私が判断したら、バリスタから外す日もありますよ。お客さんにとっては、それが、その日初めて飲むコーヒーかもしれない。自分だったら、テキトーな気持ちで淹れられたコーヒーは飲みたくありませんからね」

スタッフへの厳しい指導も、松木なりの愛情から来ているのかもしれない。

「最近では、基本的にどこでも美味しいコーヒーが飲めます。マシンの技術革新は凄まじくて、人の手を加える必要がないコーヒーも確かに美味しい。

これからの時代は、コーヒーに対する情熱、お客さんに対する誠意が今まで以上に問われると思うのです。飲む人に、『あぁこれを飲むことができて幸せだ』と思ってもらえるコーヒーを提供できるバリスタは、きっとこの先も生き残れるのではないでしょうか。そんなスタッフがたくさんいるようなコーヒー店にしたいのです」

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あの時があったから、「今」がある

幼いころに抱いた「空」への憧れ。整備士になるという夢を叶えた後も、仙台空港で働くために、毎日朝早く出社した日々。それでも、10年前の「あの日」が松木の人生を一変させた。

「多分、震災がなかったら、整備士の仕事をずっと続けていたでしょうね。今でも住んでいた荒浜地区には戻ることができていませんし、亡くなった人を忘れることはないけれど、震災があったからこそ、今こうして前を向けているのかな、とも思います」

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常に将来を見据える松木は、独立後も新しいチャレンジを重ねている。最近、KEYAKI COFFEE初のオリジナルブレンド「杢(もく)」と「槻(つき)」を出したのはその一例だ。

「今年の4月から、自家焙煎を本格的に始めました。仕入れた焙煎豆を抽出するだけでは、オリジナル商品を出せない、価格が高いなど様々な制約があります。多店舗展開をする際に、経営上、いつか限界が来るだろうという判断でした。

去年の12月ごろから焙煎を検証していたのですが、お客さんに出すに値しないと思ったものは、どれだけ損をしても絶対に提供しない、と決めていました。お客さんを裏切りたくありませんから」

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こういった新しいチャレンジは、すべて「KEYAKI COFFEEを10店舗開く」というビジョンに紐付いている。

「ゆくゆくは、お店の焙煎をスタッフに任せたいです。そのために、焙煎に関する色々なデータを全て集めて、いつでも渡せる準備をしています。10店舗オープン、から逆算して考えてのことです」

コーヒーには飲む人を元気にさせる力がある。そう信じる松木なら、これからも仙台で「ホッとできる空間」をつくり出してくれるだろう。

「地元の人も、遠方からも、お店に来てくださるお客さんがいる。みんながコーヒーに興味を持ってくれるようになることで、仙台にある他のコーヒー屋さんも潤う。コーヒーを触媒にした人と人とのつながりがどんどん増えているのが、すごく嬉しいですね。KEYAKI COFFEEが存在することで、地元が盛り上がれば、といつも思っています」

文:湯浅大輝
編集:中道達也

MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」

1つ目は、定休日に一人で飲むコーヒーです。一人でお店にふらっと来て、自分のためだけにコーヒーを淹れて飲む。仕事から離れていても、「やっぱりコーヒーっていいな」と思わされます。

2つ目は、誰かが自分の為に淹れてくれたコーヒーです。自分の為に淹れたものでは出すことのできない美味しさがあるそういうコーヒーは、KEYAKI COFFEEで提供したいコーヒーでもあります。

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