2017年に熊本市の中心部にオープンしたGluck Coffee Spot(以下、Gluck Coffee)。現在は同市内にカフェ3店舗、ロースター兼コーヒー豆の販売店1店舗を展開し、スペシャルティコーヒーのファンを増やしている。コーヒー豆の仕入れから焙煎、店舗の運営までを任されているのは、コーヒーと歴史を愛するマネージャーの三木貴文さん。飄々として見える彼の内にある、「武士道」ならぬ「コーヒー道」にかける思いに迫る。※文中敬称略
間口を広げて、より多くの人に
熊本城のほど近くにあるGluck Coffeeの1号店は、築70年ほどの建物を改築した古民家カフェ。入り口の暖簾をくぐって中に入ると、木の温もりを感じる和風のしつらえになっている。
「どうやったらより多くの方にスペシャルティコーヒーを楽しんでもらえるかという思いが根底にあります。それはオープン当初から今までずっと変わらないテーマですね。だから、場所も中心部の商業圏に絞って探しました」
いくつか候補があった中で最終的に選んだのは一番怪しい物件だったという。
「他の物件は、今っぽいコーヒースタンドになってしまいそうで、面白みがないなと感じたんです。一方でこの物件ならオリジナリティが出せそうだな、と。内装も、コーヒーに興味がない人でもカフェとして気軽に利用できる雰囲気づくりを大切にしました」
つまずきが奮起のきっかけに
三木がコーヒーの世界に足を踏み入れたのは学生時代。地元の大分を離れ、熊本の大学に進学し、大手コーヒーチェーン店でアルバイトを始めた。
「求人情報で知っているロゴを見つけて、ここで働いたら格好良さそうだなと思って始めたんです。コーヒーに興味があったわけでもなく、お店にもほとんど行ったことがありませんでした。人見知りだったので、始めたばかりの頃は毎回レジで知らない方と話さないといけないことが苦痛でしたね」
それでも続けていくうちに、サービス業の面白さに目覚めていった。
「サービス業は正解がないのが楽しいですよね。さまざまなお客さんがいらっしゃるので、声の掛け方や提案の仕方もその時々で変わります。バリスタはサービスマンでなければいけないと思っているので、お客さんが今何を求めているのかを察して対応する力が磨かれました」
卒業後もフリーターとしてアルバイトを続けている時に、熊本のスペシャルティコーヒー界を牽引するAND COFFEE ROASTERSがオープン。三木はそこで初めて豆の個性がはっきり表れているコーヒーを飲み衝撃を受けた。
「確か最初に飲んだのはエチオピアのナチュラルで、本当に美味しかったんですよね。決してコクや深みのあるコーヒーが嫌いなわけではないのですが、個性がはっきり出るコーヒーの方が面白い。そこからコーヒーにはまっていきましたね。
僕は歴史が好きなので、スペシャルティコーヒーはルーツを知ることができる点も魅力です。生産者のこだわりや品種の違いをどうやって焙煎や抽出に落とし込めるかが腕の見せ所ですよね。僕たちが違いを出せれば、お客さんにもっとコーヒーに親しんでもらえるのかなと思っています」
それから1年も経たずに、三木はアルバイト仲間と一緒にマンションの一室でコーヒーショップをオープンする。焙煎機を購入し、右も左もわからない中でスタートしたが、近隣からの苦情もあり、数ヶ月で閉店を余儀なくされた。その後は移動販売に切り替えたものの二人分の収入を得るには至らず、別々の道を歩むことになる。
「若さゆえの勢いで始めた結果、返せる程度でしたが借金も背負って、厳しさを思い知りました。いい勉強になりましたね。おかげで火がついて、この世界でやっていこうと決意したのもこの時期でした」
遊ぶように働く
社会の厳しさを知り、勉強をした上でもう一度自分の店を開きたいと考えていた三木。しかし、熊本ではスペシャルティコーヒーを学びながら働ける環境がなく、次のステージに選んだのは東京だった。知人が東京でカフェを開くという話を聞きつけ、オープニングスタッフに加わることになった。
「東京にいる間はいろいろ勉強させてもらいましたね。セミナーにも行きましたし、コーヒーフェスティバルの際にはAND COFFEEさんのブースを手伝わせてもらいました。
熊本にいると同世代でスペシャルティコーヒーをやっている人に出会うことはほとんどありませんでしたが、東京には前線でバリバリ働いている人がたくさんいる。その中に割って入るのは難しい気がして、熊本にこの熱を早く持って帰って形にした方がいいんじゃないかと思っていました」
刺激をもらうと同時に焦りも感じた三木は1年後、店が落ち着いてきたタイミングで熊本に戻る。そして、セレクトショップ内のバーカウンターでコーヒーを提供するバリスタとして1年ほど働いた後、Gluck Coffeeに立ち上げから参画。Gluck Coffeeは多角化企業の1事業で、三木はそのマネージャーの立場だ。
「元々起業がしたいわけではなく、過去の失敗で慎重になっている面もあったので、今の環境はとてもありがたいです。お店の運営も生豆の選定も委ねられていて、何のストレスもありません。好きなことを仕事にしているので、労働している感覚すらないんです。コーヒーについて勉強できる上に、提供したら美味しいと言ってもらえて、お金までもらえる。こんなにラッキーなことはないですよね」
決して無理をすることなく、ずっと自然体でやってきたという三木。そのスタンスはGluck Coffeeでも変わらない。
「接客の時に自分からガツガツ話しかけたり、お客さんの名前を聞いたりもしないんです。顔と名前を覚えるのも苦手で、4回くらい来てもらって初めて話しかけられる。サービス業には向かないですよね。
ただ、お店としては特定の常連さんで賑わうよりは多くの方にコーヒーを楽しんでもらいたいので、フラットないい距離感なのかなとポジティブに捉えています」
実際のところ、Gluck Coffeeでゆっくり過ごす人も多いという。三木の力みのなさが店の雰囲気にもつながっているのだろう。
循環の輪を広げたい
Gluck Coffeeはオープンから約5年で4店舗というスピードで規模を拡大している。現場を取り仕切る三木はどんな思いを抱えているのだろうか。
「大きな目標としては、地方にも雇用を作りたいんです。僕はラッキーだったのでこの仕事を続けてこられましたが、コーヒーを仕事にしたくても働く場所がなくて諦めてしまう人もいると思うんです」
三木自身、一度熊本を離れたことで東京との機会の差を実感した。だからこそ、熊本の後輩にも働く機会を多く提供したいと考えるようになった。
「お店が増えれば多くの人を雇えるし、コーヒーの消費量も増える。買い付ける量が増えれば生産者にも還元できる。全て循環しているので、その輪を少しでも大きくしていきたいですね。
以前は一人で細々と小さな喫茶店でも開ければいいと考えていた時期もあったんです。でも、小さな規模だと自己満足で終わってしまってプロになりきれない気がしたんですよね」
幼い頃はレゴブロックが好きで、一人で遊ぶことも多かったという三木。スペシャルティコーヒーとの出会いが、殻を破るきっかけになったという。
「せっかくスペシャルティコーヒーに携わるなら、生産者にもフォーカスしたいじゃないですか。そうなると知ってもらうきっかけが必要になる。一人でコーヒー豆に向き合う焙煎作業は一人遊びの感覚に近いですが、多くの人に知ってもらってプラスの循環を生むことでプロの仕事と言えるのかなと思っています」
そう語る三木に規模を拡大できている理由を聞くと、スタッフのサービス力の高さを挙げた。
「技術はもちろん大切ですが、技術一辺倒で無愛想に提供されたのでは行きたくならないですよね。その点うちのスタッフはレベルが高いと感じます。
実はGluck Coffeeはレシピも固めていませんし、サービスのマニュアルもないんです。ブランドとして目指している味や体現したいことを共有し、2〜3ヶ月の研修中にすり合わせていって最終試験に合格すればバリスタデビュー。コーヒーが好きで働いているのに、決められたレシピで淹れ続けるのは楽しくないですからね」
コーヒー豆の状態が常に一定じゃないのにレシピを固めたところで、80点は出せても100点、120点は出せないと三木は言う。そこを目指していかに工夫をするかがバリスタの面白さであり、難しさでもある。
芯はブラさずに状況に応じて柔軟に対応できるようになってほしいという期待を寄せるのは、何とも三木らしい。
「自分で考えることが大切な仕事だと思うので、できるだけ押しつけないように気をつけています。一方で採用については、お店によく来るお客さんの中からスカウトしているんです。自然と似た空気感を持った人が集まるので、お店としてもまとまりやすいですね」
ブレずに、しなやかに
最後に、今後の目標を聞いた。
「事業としては、僕たちのコーヒーをより生活に浸透させていきたい。今までは市内の中心部に出店していますが、生活圏に出店するのも面白いなと考えています。特別なものではなく日常に入り込める余地はあるんじゃないかと思うんです。
あとは、産地に行きたいですね。焙煎と抽出の技術で味の違いを表現するだけでなく、生産者に会って感じ取ってきたものを表現できるようになりたい。そうすることで技術も磨けると思うんです」
現在三木は、素晴らしい生産者とロースターの発掘を目指す品評会「COFFEE COLLECTION WORLD DISCOVER」に参加し、55店舗の中から10店舗が選ばれる決勝審査会に勝ち進んでいるという。目下の課題は「自分だからこそ出せる味」の追求だ。
「カッピングの点数はそれなりに取れるようになってきていると思います。ただ、感動を与えるほど美味しいコーヒーには、点数には表れない感情の揺れのようなものがあるんです。僕のコーヒーはまだその揺れが小さい。そうなると、技術ではなく表現の領域になるのかなと思うんです。だからこそ生産者に会ってみたいんです」
Gluck Coffeeを始める際、10年は続けようと決めていたという三木。現在、折り返しとなる5年目を迎えている。
「周りの経営者さんから『10年続けないと見られない景色がある』と言われたんですよね。確かに続けるうちにやりたいことも増えていきますし、見える景色はだんだん変わってきているように感じます。
僕は不器用で頑固なところがありますし、成長スピードは速くありません。だからコツコツ続けるしかないんです。僕の理想は、一本筋の通った武士のように生きること。一生コーヒーで食べていくと決めたからには、とことん突き詰めていきたいですし、やるからには一番になりたい。歴史を見ても覇権がどんどん移り変わっているように、決して良い時期だけではないでしょうが、おごることなくコツコツ積み重ねる。それが一番大切なのかなと思います」
文:軽部 三重子
編集:中道 達也
写真:Kenichi Aikawa
MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」
休みの日に、馴染みのお店で飲む一杯ですね。その場に居合わせた知り合いと他愛のない話をしながら、のんびり過ごす。そんな風にリラックスした状態で飲むコーヒーが一番好きです。お客さんにも、当たり前の日常の中で美味しいコーヒーを楽しんでもらいたいですね。
このロースターのコーヒー豆を購入する