何を「普通」と呼ぶかは、その人がどんな世界で生まれ育ったかによって決まる。カフェ文化が人々の暮らしに根づいているポルトガルでは、エスプレッソに砂糖をたっぷり入れて飲むスタイルが一般的だ。一杯60〜70セント(100円程度)という手頃な価格も相まって、一日2〜3回はカフェでコーヒーを飲む人も少なくない。
コーヒーについては「コーヒー豆を機械に入れてボタンを押せば、ほんの数十秒で完成するもの」「手早く飲めるもの」という価値観が主流で、カフェはコーヒーを愉しむ場というより、社交場としての機能が重視されている。
そんなポルトガルで、2014、15年頃に姿を現したスペシャルティコーヒーはまだまだ異色の存在だ。旧来的な価値観が色濃く残る世界に変革をもたらそうと試みてきたのが、国内第二の都市・ポルトの7g Roasterでヘッドロースターを務めるファティマ・サントスだ。
ロンドンで出会った一杯のコーヒーをきっかけに、もともと携わっていた心理職を離れ、コーヒーの世界へ。「コーヒーは間違いなく私を変えてくれた」と語る彼女の人生において、コーヒーはどんな意味を持っているのか?
伝えることから変化は生まれる
人は自分が知らない選択肢を選ぶことはできない。7gのカフェで用意されている「コーヒーエクスペリエンス(体験)」というメニューは、新しいコーヒーの世界への入り口でもある。ドリップコーヒー、カプチーノ、エスプレッソにコーヒーレモネード。4種類のコーヒーを提供する“飲み比べセット”を通して、客はコーヒーの多様性の片鱗に触れられるのだ。
「ポルトガルの人は一般的に、コーヒー体験に関してとても保守的で、品質にも無頓着。なぜ一杯のコーヒーが1.2ユーロもするのか、理解できない人もいます。だから一杯のコーヒーを作るために、どれだけの人が関わり、努力が費やされているのか知ってもらう必要があるんです。
ただ、人の習慣を変えることは簡単ではありません。一杯のコーヒーの背景について話したとして、興味を示すのは30人のうち1人か2人くらい。お客さんが何度も店に来て、もっと知りたいと思うようになって初めてスタートラインに立てます。変化を起こすためには、根気が必要なんです。
それでも5年前と比べると、少しずつですが着実に変化は起こっています。自身のブログやフォーラムを運営しているコーヒー愛好家もいれば、バリスタ志望の若者もいます。『コーヒーの新しい飲み方、愉しみ方を教えてくれてありがとう。これまでは紅茶派だったけど、今ではV60(ドリッパー)を使って自分でコーヒーを淹れているよ』などと感謝を伝えられることも増えました。
みんなにも私と同じような体験をしてほしいという思いが、私の原動力です。10数年前、私がロンドンのPrufrock Coffeeで飲んだ一杯のコーヒーに出会って感動したように、人々の印象に残るコーヒーを提供したいのです」
敷かれたレールのない世界へ
子どもの頃から、父が営むカフェの仕事を手伝っていたファティマだが、コーヒーの世界に入ろうと思ったためしはない。大学で心理学の学位を取得後は大学院に進学し、修士課程で学ぶ傍ら、セラピストのような仕事を始めた。患者と一対一でのカウンセリングや、患者と精神科医の橋渡しをしながら、統合失調症や双極性障害など、重い病気を抱えた患者が再び自立して日常生活を送れるようにサポートした。
しかし、職務内容が形式ばっていて創造性を発揮できる余地がなく、窮屈に感じていたからだろうか。あるいは若さゆえに、人生経験やスキルが不足していたからだろうか。なぜか心は晴れなかったが、別の道を選ぶという発想には至らなかった。一度その道を選んだ以上、生涯その仕事で生きていくことは、疑うまでもない“唯一の正解”だった。
そんなファテイマに転機がもたらされたのは、修士課程を終える直前のことだ。ロンドンにいる友人と話したとき、こう提案されたのだ。「もし現状に幸せを感じられないのなら、何もかも手放してみたら? 他の街に移り住んで、新しいことに挑戦してみたらいいんじゃない?」
想像の遥か上をいく発想に、最初は理解が追いつかなかった。ここまで来た道のりを振り返れば、バカげた選択としか思えない。だが、心は正直だった。その言葉はファティマの脳裏にこびりついて離れなかった。もし彼女のアドバイスを実行に移せば、私の人生はどうなるのだろう? その先に広がる可能性に思いを馳せれば馳せるほど、心の重心はまだ見ぬ世界へと移っていった。
数日間考えた末に、ファティマは決心を固めた。まだ22歳、失敗したとしても失うものは何もない。新しいことに挑戦してみようーー。高校、大学進学を経て就職と、見えないレールをなぞるように生きてきたファティマにとって、そこから大きく逸脱するような選択は初めてだった。
やがてロンドンに移住したファティマは、一般的なカフェベーカリーで働き始め、バリスタとしてトレーニングを積んだ。プライベートでは友人とコーヒーショップ巡りを楽しむなど、コーヒーは少しずつ暮らしの中心を占めるようになっていた。
そんなある日、ファティマは一杯のコーヒーに衝撃を受ける。「コーヒー=砂糖をたっぷり入れたエスプレッソ」でしかなかった身に、それはどこまでも異質な飲み物だった。以来、ファティマはもっとコーヒーについて知りたいという思いに駆られ、本を買い漁るようになった。恋と呼ぶにふさわしいのめり込みぶりだった。
コーヒーに鞍替えしようか、はたまた心理職の世界に留まってその道を極めていくべきなのか。修士課程の2年目でポルトガルに帰ってきたファティマが最終的に選んだのは、コーヒーの世界だった。
だが2012年当時、ポルトガルにはまだスペシャルティコーヒーを扱う店はなかった。ファティマは現実と理想の折衷案としてスターバックスに就職し、2年ほど勤務。2015年にリスボンでもっとも早く誕生したスペシャルティコーヒー店のひとつであるFábrica Coffee Roastersに転職し、ずっと思い焦がれてきた世界に身を置いたのである。
Fábrica Coffeeでバリスタを務めていたファティマはやがて焙煎に興味を持ち、その仕事を一手に担うオーナーに「焙煎を学びたい」と事あるごとに直訴するようになった。だが、店の味を決める焙煎はロースターの心臓部だ。オーナーはなかなか首を縦に振らなかった。
そんなファティマに、チャンスは思わぬ形でもたらされた。オーナーが長期休暇で留守にしていた際、店のコーヒーが売り切れてしまったのだ。よりによって、店は連日満員御礼だった。客にコーヒーを提供するためには、店の倉庫に保管している生豆を誰かが焙煎するしかない。緊急事態を報せるべくオーナーに連絡をとるも、いっこうに返事は返ってこない。逡巡の果てに肚を決めたファティマはその役目を自分が負うことにした。
状況が状況だったこともあり、ファティマの中で人生初焙煎の記憶は曖昧だ。それなりにうまくいった覚えがないわけでもない。いずれにしても、どんな形であれ急場を凌いだことは、店にとってもファティマにとっても幸せな結末を運んできた。
やがて休暇から帰ってきたオーナーはファティマが焙煎したコーヒーの味を見て、「初めての焙煎にしては全然悪くないじゃん」という評価を下した。その日を境に、マンツーマンでの焙煎レッスンが始まったのである。
「焙煎に惹かれたのは、生豆そのものや精製方法、地域や国など、さまざまな要因が絡み合ってユニークなコーヒーが生まれることを五感を使って理解するプロセスがあるからです。熱量や時間、空気の流れなど、複数の要素を調整すれば多様なプロファイルをつくり出せるところも魅力的でした。料理と同じかもしれませんね」
コーヒーは私を育ててくれる
ファティマは生まれつき、好奇心や冒険心が強い子どもだった。興味を持ったことは試してみたい、というより試さずにはいられなかった。1990年代当時はまだ、「男の子」と「女の子」が明確に区分けされていた時代である。女の子の遊びだけでなく、工具を使った工作めいた遊びや木登り、スポーツなど、いわゆる男の子の遊びにも興じるファティマは異色の存在だった。
なぜ女の子だったら、それをやったらダメなのか? 女の子というだけでなぜ、自由を制限されなければならないのか? 両親と何度も衝突しながらもファティマは、保守的な価値観や体制に戦いを挑んでいく人生を予感していた。そんな彼女が、スペシャルティコーヒーに惹かれたのは偶然の一致だろうか?
「私が一番喜びを感じるのは、伝統的なエスプレッソに慣れたお客さんにワクワク感を与えられたときです。ドリップコーヒーを淹れていると、私のおばあちゃんと同年代の人から『昔、私が子どもの頃も同じような淹れ方だったよ』と言われたことは何度もあります。まだエスプレッソマシンが普及していない時代に生きていた人たちと同じものを共有するのは、過去と未来を繋げているような感覚があるんです」
ファティマには思い出深い出来事がある。2022年に開催された国内のバリスタ大会でトップ5に名を連ねたのはすべて、スペシャルティコーヒーを扱う店のバリスタだったのだ。伝統的なコーヒーの店や会社に比べて規模が小さく、資金面や設備面などのハンデがあるにもかかわらず、である。
ポルトガルのコーヒー業界は今まさに、一つの転換期を迎えている。これからもっと変化は加速していくだろう。そんな希望的観測を裏付ける事実を前に、ファティマは報われたような思いを抱いていた。
「クラフトビールは普通のビールとなぜ違う味がするのか理解したいという具合に、いつも新しいものを探すようになったのは、一杯のスペシャルティコーヒーが『選択肢はひとつではない』と教えてくれたおかげです。人はいろいろなものに触れることで、新しいツールや答えが見つかったり、新しいことに挑戦する機会を得られたりするものですから。
そもそも人生は、白と黒ではっきり色分けできるものではありません。曖昧なグレーに満ちた世界とうまく付き合っていくには、あらゆる視点で物事を考えて、また別の選択肢を探る必要がある。自分がクリエイティブであり続けるために心や思考を鍛錬しているとも言えます。
好奇心を持つこと、冒険すること、考え続けること……。行き着くところ、私は私の中にあるものすべてをコーヒーに応用している気がします。『ほら、まだうまくできていないよ。もう一度試してごらん』と促してくれるコーヒーはつまるところ、私のボスなのです」
なぜコーヒーを選んだのか?
高校時代、ファティマの一番好きな教科は哲学だった。人の心の深淵に手を伸ばし、永遠に答えの出ない問いを考え続けるその過程におもしろみを見出していたファティマは今なお、セラピスト的な仕事が恋しくなることもある。時折、部屋の片隅に置いている心理学の本を開いてしまうのは、決して嫌いになって辞めたわけではなく、むしろ好きな仕事だったからだ。
「人間もコーヒーも、それぞれの内側にあるものを探れば、より深く理解することができます。まずは彼らの“声”を聞いて、それぞれの性質やありのままの姿をじっくり観察したうえで、最適なツールを自分の道具箱から探し出す過程は同じです。人の心もコーヒー豆も常にダイナミックに変化しているからこそ、まず声を聞くことは大切なルールなんです」
再び心理学の世界に戻るという選択肢を自分から消し去ったことはないファティマだが、現実的な選択肢として考えたことはない。だったらなぜ、私はあのときコーヒーを選んだのか? ひとしきり考えた末に軍配があがるのは、いつも決まってコーヒーの方だ。
「コーヒーには二つの世界があるからです。科学的な研究対象としても見られるし、人との関わりを生む社会的な面もある。データや数字ばかり見ていることに倦んだら人と関わればいいし、人と関わることに疲れたら科学の世界に戻っていけばいい。その両岸を行き来できるところがコーヒーの魅力だと思います。人間に比べてコーヒーは、ある程度予測を立てることができますしね。
でもそんな理屈は抜きにして、確かなことがあります。コーヒーは毎朝、今日も頑張ろうというエネルギーを与えてくれる存在だってこと。そして、職場に行って仕事がしたいと思わせてくれる存在であり、毎日新しい学びを得られる幸せをくれる存在でもあるんです」
写真:Ana Coutinho
MY FAVORITE COFFEE人生を豊かにする「私の一杯」
一日の中で、二つの瞬間が挙げられます。一つ目は、焙煎した翌日にすべてのコーヒーをカッピングするとき。自分の焙煎に改善点はないか、確認する過程で学びを得られるからです。二つ目は、自分で淹れたコーヒーで一日を締めくくるとき。シンプルに個人的な愉しみとしてコーヒーを飲むことができるからです。