Volcán Azul Alejo Castro Kahle

Alejo Castro Kahleアレホ・カストロ・カール

Volcán Azulボルカン・アズール

子々孫々にコーヒーを受け継ぐ。100年先の未来を見据えて

1821年に独立後、国家として経済的に自立するためにコーヒー栽培に力を入れ始めた中米の国コスタリカ。1830年代、その中でヨーロッパのグルメな人々を満足させる世界一のコーヒーをつくるべく、Volcán Azulを創業したのがアレホ・ヒメネスだ。子から孫へと代々受け継がれてきたそのバトンは今、5代目のアレホ・カールへと手渡されている。

最高品質のコーヒーを栽培、輸出することにこだわるVolcán Azulは、1980年代より1500haの熱帯雨林も所有し自然保護に努めながら、気候変動の影響を軽減させている。自然や地球と調和しながら生きるアレホ家のDNAは、5代目のアレホ・カールにも息づいている。

受け継がれているDNA

アレホの父方の先祖が家業としてコーヒーの栽培と輸出を始めた19世紀。今のように飛行機がなかった当時、海外への運輸手段は帆船だった。しかも国内には太平洋側にしか港がなかったため、ロンドンに行くには南アメリカ大陸の南部をまわるしかなかった。

初代アレホはコーヒーを輸出するために、片道約2ヶ月の航海を繰り返すこと20回以上。半年もの間、家を留守にしてまで志を実現させた“旅”の足跡は、保有していた船から船上の荷物の配置、乗組員まで克明に記された文書を通して辿れるという。

一方、アレホの母方の家系もコーヒー生産の仕事を受け継いできた。1890年代、ドイツのハノーバーからメキシコ南部のチアパス州に移住してきた母方の先祖は、コーヒー生産が未成熟な地でゼロから農園を立ち上げ、コーヒーの栽培と輸出を始めたのだ。

「当時のコーヒー栽培や輸出がどんなに難しかったかを思うと、私たちの先祖の取り組みすべてがすばらしいことだと誇りに思います。最高品質のコーヒーを生産することが私たちの目標であり、彼らの功績を称える最善の方法なのです。

コーヒーの品質を高めるために私たちが大切にしているのが、環境条件を万全に整えること。もともとコーヒー栽培に適した火山灰の土壌があるので、多くの石灰岩を混ぜています。また、違うタイプの植物で土を覆うことで、雨で土が侵食されるのを防ぐだけでなく、有機成分を土に染み込ませています。

こうして土壌と品種の個性がうまくかけ合わさったコーヒーの風味を増すのが精製所の役割です。風味をよくするために、土壌と精製プロセスを改良し続ける努力を怠らず、前回よりも質がいいもの、サンプルよりも質がいいものをお客さんに届けるように心がけています。

たとえば今は、ワインやビール生産で使われている発酵処理法をコーヒーに応用していますが、品質向上にチャレンジし続ける姿勢はある意味、私たちの先祖から受け継いだ教訓であり生き方でもある。その時々で精製方法を変えているのも、よりよいものを届けるための必要な進化です。死ぬ前に人生最後のコーヒーを飲んだときに、『これまでで最高のコーヒーだった』と思えるのが理想ですね」

原点に返る

ボルカン・アズールは、コスタリカのウェストバレーとホワイト・ボルカノ、セントラルバレー、そしてタラズに合計約500haの農園を所有している。毎年収穫シーズンになると100人以上のコーヒーピッカーを雇用。彼らの顔ぶれはいつも同じで、そのうち9割は隣国のニカラグアとパナマの人々だ。ニカラグアにもコーヒー生産者がおり、同じ仕事があるにもかかわらず、ボルカン・アズールへ働きに来るのは「稼げるから」だ。

「ピッカーの人たちはここでお金を貯めて、生活必需品や衣服、ニカラグアでは入らないものや必要なものを買っています。毎年同じ人たちに来てもらうことのメリットは、摘み方を教える手間が省けること。どのチェリーを選ぶべきかを知っている熟練者に仕事をしてもらう方が、コーヒーの質も高まります。

彼らはいつも『来年も働きに来たい』と言ってくれますが、そう思ってもらうためにも魅力的な職場を提供し続ける企業努力は欠かせません。最低賃金よりも20~30%ほど高い賃金を支払っているのもしかり、滞在期間中、快適に過ごせるように、電気や水が使える宿泊施設や家を提供しています。

私たちはサステナブルな方法で販売しようとしているわけですから、私たちを助けてくれている人たちによりよい環境を提供することは当然だと思います。たとえばコロナ禍では、コロナ前より賃金を上げましたが、それが実現できたのも継続的にコーヒーを買ってくれるビジネスパートナー(バイヤー)のおかげですね」

中米のなかでは政治的、社会的に安定している国・コスタリカは、経済成長に伴いコーヒーを取り巻く状況も様変わりしている。観光や生命科学、技術産業が発展し、コスタリカ最大の輸出品はコーヒーから人工バイパス、カテーテルなどの医療器具に変わった。ボルカン・アズールの農園周辺では、定年を迎えたアメリカ人が移住し、小さな農園の土地を買い上げるケースがよく見られるようになった。コーヒーピッカーの仕事を避けるコスタリカ人も増えているという。

「コスタリカは近年、かつてヨーロッパや日本が歩んだ道を歩んでいます。人件費が高くなっている今のコスタリカで生き残っていけるのは、掛け値なしに高品質のコーヒーだけでしょうね。だから私たちも今、規模を縮小し、一つの農園と小さなミルで味わい深いコーヒーを生産していた創業期への原点回帰を進めているところです。具体的にはブルボンとティピカからコーヒー栽培に挑んだ初代アレホの遺志を継ぎ、それらの品種の栽培を始めようと思っています」

はるか先の未来を見据えて

コーヒー一家に生まれ育ち、その仕事を受け継いだアレホだが、コーヒー生産者になるように家族から強制されたことはない。進路選択の自由は与えられており、彼の兄弟2人はともに弁護士として働いている。

それでもアレホにとって、コーヒー生産者以外の選択肢は浮かばなかった。小さい頃からいつも父の後を追って農園や精製所に行き、輸出をするときにはコンテナをチェックする……。まるで生まれる前からそう決まっていたかのように、父や祖父、そしてその向こうに続く先祖の背中を追いかけていったのだ。

早く戦力になって父を助けたいという気持ちから、アレホは高校卒業後すぐ、父が営む農園で働き始めた。一通り基礎を学び、トラクターの運転なども経験したのち、セントラル・バレーの農場管理を任された。コスタリカの大学に通いながら農園で働いた時期もあったが、「働いている方が楽しかった」という。

それから数十年経った今でも、この仕事が好きで楽しいという気持ちに変化はない。アレホはきっと、この世界に生まれ落ちたときから天職にめぐり逢っていたのだろう。

「世界中で、最高の会話やアドバイスはコーヒーを飲みながら行われているものだと思います。社会的な生活を送るにも、意欲的な仕事をするにも、人間性を高めるにもコーヒーは欠かせません。私の子孫は、私たちと同じように先祖がやってきたことや伝統を誇りに思うべきだし、今の仕事に感謝すべきです。彼らには、最高品質のコーヒーを次世代につなげていってほしいと願っています」

アレホ家では、コーヒー農園の他、何も手を入れない200haの土地や南太平洋に面したオサ半島にある1500haの熱帯雨林も所有している。彼らが次世代に受け渡したい“財産”は、コーヒーだけではないのだ。

「環境保護のためです。熱帯雨林は地球の温暖化を防ぎ、持続可能性を高めますからね。コスタリカの国土は地球の表面積のほんの 0.03 %しかない小さな国ですが、地球上の全動植物の約5%が生息しています。なかでも南太平洋近辺は、地球上の全動植物の約2.5%が生息している保護すべき特別な地域です。

1980年代に、これらの土地を買い始めたのは私の父です。自然が壊されてしまわないように土地を所有し、気候変動問題に立ち向かうことでコーヒービジネスを持続可能にしたかったのです。その考え方は私も同じです。私たちの世代でコーヒー生産を終わらせたくないですから」

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