Daye Bensa Coffee Kenean Assefa Dukamo

Kenean Assefa Dukamoケニアン アセファ ドゥカモ

Daye Bensa Coffeeダエ ベンサ コーヒー

違いはもっと生み出せる。伸びしろに満ちたコーヒーの世界で

2020〜2022年の3年間で、カップ・オブ・エクセレンスのトップ10に6度名を連ねたエチオピアのコーヒー会社・Daye Bensa Coffee。ウォッシングステーションごとの特性やフレーバープロファイルなどを熟知している強みを活かし、ハイエンドからプレミアムまで顧客に提供することで、本拠地とするシダマのブランド力を高めてきた。SNSでの積極的な発信やマーケティングなども功を奏し、同社で扱う生豆のうち30%を占める最高等級のG1に関しては、需要に供給が追いついていない現状がある。

1996年に創業したダエベンサは、発祥の地であるシダマを中心に2500以上の農家からコーヒーチェリーを購入し、71のウォッシングステーションを展開している。ここ数年でグジやイルガチェフェにも足場を広げてきた同社は、国内の他地域のみならず、他のアフリカ諸国への事業展開も見据えている。

そんな同社の創業者を父に持ち、主にプロモーションやマーケティングの部分で事業の成長、拡大を推し進めている29歳のケニヤンに話を聞いた。

農家の自立を後押しする

コーヒーの生産国で誕生した地元資本の輸出会社のうち、組織だった事業活動を展開している企業はそれほど多くない。資本力やインフラ、ノウハウなど、あらゆる面で外資系企業には敵わないところがあるからだ。その点、品質と生産効率の両面で持続可能な企業になることを目指すダヤベンサの存在は際立っている。

すでにトレーサビリティや品質、生産量を一元化して管理できるソフトウェアを開発、活用しているほか、効率的かつ一貫性のあるオペレーションを実現すべく、すべてのウォッシングステーションを管理できるITシステムの構築を進めている。

事業の拡大戦略もしたたかで、コーヒー農家向けの特典付き会員プログラム(会費は無料)がその一例だ。農家はそのプログラムに加入すれば、ボーナスから技術研修、新しい苗木、子どもの学用品まで無償で提供してもらえたりとさまざまな恩恵を受けられる。唯一、ダヤベンサのみにコーヒーを納品すること、農園の規模や住所などを登録することだけが加入条件であるため、加入を拒む理由はない。

特徴的なのが、一部のプログラムは一時的であることだ。2年間提供してきたヘルスケアプログラムを例にとれば、無料で一部の医療を受けられるサービスを利用するために国に納める費用をダヤベンサが肩代わりするというものだ。ケニヤンは言う。

「農家の人たちに、そこにお金を払う価値を理解してもらうことが目的だったからです。お試し期間中にその価値を理解すれば、自分でお金を払ってでも保険に加入しようというインセンティブが生まれます。彼らに情報や選択肢を提供してよい選択を後押しすることが、私たちの役割だからです」

初年度からダヤベンサの会員だった農家の中には、自分たちでコーヒーを輸出するようになった者もいる。もともと農園の規模が大きかったこともあり、ダヤベンサからバイヤーを紹介してもらう、需要動向を教わるといったサポートを支えに、自立を遂げたのである。

そんなダエベンサの源流には、ケニヤンの祖父・Dukamoの存在がある。花やコーヒーを売ったりとさまざまな商売を手がける起業家だった祖父は、新しいビジネスの種を見つけるたび、どのくらい収益を生み出せるのか、自らが手本となって示すことで村の人々に起業を促していたのだ。

さらに教育の重要性を強く実感する彼は、人々にその価値を伝えるだけでなく、自分の事業で得た収益の一部を活用し、経済的に余裕がない家庭の子どもに奨学金を提供していた。

「祖父は『教育を受けていなければ、大きなビジネスを展開することも生活を変えることも難しい。たとえ会社に雇用されている身でもそれは同じだ』と言っていました。もし祖父が僕の父や叔父に、都会に出ていい教育を受けるように促していなければ、今の私たちは存在していないでしょう」

現在、ダヤベンサの研修プログラムでは、大学を卒業した農家の子どもたちを優先的に雇用し、トレーニングを提供している。家族の農園が小規模だとどれだけモチベーションがあっても採算が合わないという現実があるため、自社や他の農家のもとで働けるように受け皿をつくっているのだ。

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コーヒーの可能性に気付いた

ケニヤンの父アセファも当初は、祖父と同様にいくつかの商売を手がけていた。だがコーヒーに経済を依存しているシダマ地域で生まれ育ったこともあり、20歳のとき、弟のムルゲタとともに農家からコーヒーチェリーを購入して精製するビジネス一本に絞る。その後、2006年には顧客との直接的な関わりと効率的な取引を求めて輸出業にも手を広げた。

「ビジネスを成功させることに執心して家族のことには無頓着になる場合もあれば、その逆もありますが、父はいつもうまくバランスを取っていました。父は信心深い人でもあり、昔も今も毎週日曜日に必ず教会に行く習慣を欠かしません。

父からはこれまで何かを強制されたり、押し付けられたためしがなく、常に選択を尊重してもらってきました。父とは20歳しか年が離れていないこともあり、メンターでありながらも親しい友人のようなところもあるんです」

祖父と父の起業家精神はケニヤンにも受け継がれた。2015年、アメリカの大学に通い始めたときからダエベンサに参画し、アメリカ、ヨーロッパの輸入業者やロースターへの販売網を拡大した。エチオピアに帰国後は特にスペシャルティコーヒー部門の市場拡大に注力すべく、韓国を筆頭に消費国を開拓。その他、ITシステムの構築や、プロの映像作家や写真家、ライターを活用しての情報発信など、取り組みは多岐にわたる。

そんなケニヤンだが、コーヒーの世界にフルコミットする未来は想像していなかった。コンピュータサイエンスを専攻していた大学時代は「IT関連の会社で経験を積んだのち、スタートアップを立ち上げる」という青写真を描いていたのだ。

しかし大学卒業後「2年間会社を手伝ってくれないか? ITの仕事をやるのはそれからでもいいんじゃないか?」と父から提案されたことで、人生の流れは大きく変わった。その提案に乗る形でエチオピアに帰国したことが、ケニヤンの生きる道を決定づけた。

「コーヒーはエチオピアの経済にとって重要な役割を果たしているにもかかわらず、革新的な取り組みがほとんどない。みんな伝統的な方法に従い、踏襲しているだけだからこそ、進歩、発展する余地が大きいとも言える。おまけに、自分の家族が築いている基盤も活用できるのなら、もはや可能性しかないですよね」

エチオピアの人々をインスパイアする

ケニヤンには、Podcast(MERI)のホストという別の顔がある。エチオピアでビジネスを成功させている100人以上の人々へのインタビュー動画を制作。主にエチオピアの人々を対象にしているため言語はアムハラ語に限定しているが、YouTubeだけでも計1000万以上の視聴回数を数える。ケニヤンがアディスアベバとアワッサに立ち上げたスペシャルティコーヒーカフェ・Dukamo Coffeeに来る客の多くは、ポッドキャストのリスナーだ。

「もともと好奇心旺盛で、積極的に学ぶタイプだというのもありますが、直接的には自分が困難に直面したことがPodcastを始めたきっかけです。エチオピアに戻って会社のリーダーとして働き始めたとき、カルチャーギャップなども手伝ってうまくいかないことが多かったんです」

才能ある人材を採用し、トレーニングプログラムでその才能を磨く手法や、経営陣は少なくとも月に一度集まって会社の方向性を確認し合うマネジメントなど、彼らから学んだ事例をダエベンサに導入したケースも複数ある。後継ぎの椅子にあぐらをかかず改革に挑み続けるケニヤンの姿勢が、競争が激しいエチオピアのコーヒー業界で違いを生み出しているのだ。

「直近ではエチオピア産コーヒーについての本も出版したのですが、これはどちらかというと生産者向けです。自分たちのコーヒーをどう売り出すか、どんなストーリーを語るかを見直すきっかけにしてもらうことで、業界全体を底上げしたいという思いがありました。

ITの世界にも通じることですが、私は問題解決が好きなタイプ。もっと革新的な方法があるんだという気づきや刺激をまわりに与え続けることが、私がこの業界で頑張り続けられる理由のひとつです。コーヒーの世界は一度関わると抜け出せなくなるとよく言われますが、本当にその通りで、気づけば情熱を注ぎ込むようになっていたんです」

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